2024年08月22日

「捕虜で賠償」戦利品扱い 米英が黙認

 読売の社会部記者が語り継ぐ戦争で佳い仕事をしてくれた。
 戦後79年 「戦争の末路」というタイトルでの連載の8月20日は5回目であるが、いよいよ最終回となってしまった。
 79年前、1945年8月9日未明、満州、朝鮮半島、樺太、千島列島に侵攻してきたソ連軍に対し、8月15日の玉音放送で武器を手放してしまった間東軍などの兵士たちはソ連兵によって、シベリアやモンゴルに強制連行、移送され、収容所で抑留生活を送ることになったのが、8月23日のスターリンの指示だった。

 連載の最終回はそのシベリア抑留を米ソ資料を基に研究する国際政治学者で多摩大准教授小林昭菜さん(42)と見つめ直す。

 日本を早く降伏させたい米英はソ連に対日参戦を促していたが、8月半ばでの侵攻を開始の意思表示をソ連はした。ところが、原爆投下で米軍だけで日本を降伏、占領できる可能性が出てきた。
 ソ連は侵攻を早め、8月9日未明侵攻を開始する。

 ソ連はすでに、欧州から連れ出した300万人超の捕虜を使役していて、病人ら70万人の解放が命令されたのが8月13日。
 彼らの代わりに日本人捕虜50万人を想定し、使役させることにしたのである。
 戦争で2660万人が犠牲になったソ連の復興のための労働力とするためだ。

 6面に「敗戦60万人の苦難」という見出しで、シベリアの地図に移送された日本人61万T237人の収容先が明示され、日露、日ソ関係、対日参戦・抑留問題が時系列で説明がある。

 シベリア抑留者の名前を調べたことで知られる村山常雄さんとも知り合うことができたという小林さんは日本人捕虜の数を61万T237人とロシアでの調査の結果で調べあげ、総数にこだわったのは村山さんの影響だという。

 忘れてならないのは、ソ連による捕虜の労働使役に対して、戦時の協力関係にあった米英が黙認していた事実である。
 捕虜は戦勝国の戦利品という感覚がある。
 「日本軍隊は完全武装解除後、各自の家庭に復帰する」としたポツダム宣言に明らかに違反しているとしてもだ。
 戦争で勝ったものが秩序を決め、ルールを構築する世の中は今も変わっていない。

 ロシアのウクライナ侵攻侵略で取り返しがつかない100年になる予感さえある。
 だからこそ今、私たちの正義や人間の尊厳を大切にして、戦争というものにどこまで抗い続けられるのか。
 だと結ぶ。


 戦後79年、「戦争の末路」というタイトルで全5回で取り上げた語り継ぐ戦争。
 被害増えるばかりにもかかわらず、戦争指導者たちは自分たちが戦犯として厳しく断罪されることを怖れたか。ために国体護持を理由に降伏しようとはせず、原爆をヒロシマ、ナガサキに投下されてようやく、降伏に気持ちが傾いたようだ。と戦争を終わらせることから始めたのはよかった。

 続いて、日中戦争から日米戦争へと広がる戦争の原因を満洲にあるとしたこともよく理科できることだ。
 3回目は、海戦で航空機の技術革新が進み、戦艦の時代が終わったにもかかわらず、国力がおいつかず、航空機の戦いに遅れをとり、特攻攻撃などという愚かなことを始めたこと。
 迎撃する航空機がないため、制空権を握った米軍のやりたい放題で、都市が空襲・空爆され焦土と化した4回目。
 そして、最終回は日本人捕虜50万人をシベリアに移送するところ、61万人と過剰な抑留を認め、劣悪な環境で亡くなる犠牲者が増えたことと、ソ連が「捕虜で賠償」戦利品扱いすることを米英が黙認していた事実を取り上げていたことも勉強になった。

 アジア太平洋戦争に関心を持つきっかけについて、五味川純平『人間の條件』(三一書房)をTVドラマ化した作品、主人公梶を演じた加藤剛の影響を受けたことを書いた。
 その主人公梶は、満州からシベリア、多分ハバロフスクではないかと思うが、愛する三千子に逢いたいと収容所を脱走し、斃れてしまうのだ。

 だから、最終回がシベリア抑留でなければ、自分の語り継ぐ戦争としては、戦時下でも誠実に生きようとした梶に申し訳ないし、中学生のあの日に帰れない。

 明治生まれのわが父は召集され、南方の島スマトラ島に派兵され、何とか無事に帰国を果たしたのは、宇品港だった。
 父親の長男として団塊の世代の一員として生まれ育ったが戦争体験はないにもかかわらず、戦争に関心を持つようになったのは上述の五味川さんの『人間の條件』の主人公梶の影響であり、演じた俳優加藤剛さんの誠実な人柄に負うところが大きい。

 後に、松本清張『砂の器』が映画化され、主人公和賀英良こと本浦秀夫を加藤剛さんが演じなければ、映画の評価はまるっきり変わった作品になっていたはずだ。

 事程左様に本や映画、TVドラマは影響力があり、想像力が磨かれる。

 読売が戦争のことを語り継ぐのに若い人、30代から40代の人で戦争関連で研究などしている人物から話を聞いているのは素晴らしい企画である。

 最終回の小林昭菜さんはモスクワに留学し、調査を重ね、とうとう61万T237人の捕虜数だったことを突き止めたことは澤地久枝さんがミッドウェー海戦の日米の戦没者の名前を調べたことに通じる佳い仕事だった。