2024年08月19日

ソ連とモンゴル抑留死者の名を呼ぶ

 「とれんど」というタイトルで、論説委員緒方賢一との署名入りの囲み記事が読売の夕刊にある。その8月17日は、「抑留死者の名を呼ぶ」という見出しに驚き、夢中で読んだ。

 先の大戦後にソ連、モンゴルに抑留され、死亡した人々の名前を読み上げる追悼行事が、23日から4日間、オンラインで行われるというのだ。

 8歳の小学3年生から、90歳代の抑留経験者まで約100人がこの行事に参加する。
 帰国を夢見ながら、異郷の地で無念の最期を迎えた人々のうち、4万6655人の氏名が読み上げられる。
 
 読み上げる死亡者の情報は、抑留を経験した村山常雄氏(2014年死去)がまとめた。これに元読売新聞記者の井手裕彦氏がモンゴルの国立公文書館で独自に確認した名簿の内容を加える。

 シベリアやモンゴルへの抑留はソ連の独裁者スターリンが1945年8月23日、満州などで降伏した日本軍の将兵たちを連行するように命じた。

 約60万人が連れ去られ、約5万5000人が極寒と飢え、重労働で命を落とした。

 日本が無条件降伏したのは8月15日だが、降伏文書が署名されたのは9月2日である。
 15日を過ぎても続いたソ連の侵攻は抑留だけでなく、択捉、国後、歯舞、色丹の4島の不法占拠につながった。

 「終戦」の後の戦いを忘れてはならない。と結ぶ。


 「名前は人が生きた証である。声に出して名前を呼ぶことには、その人が存在した事実を確認し冥福を祈る意義があるはずだ」と緒方論説委員はこのイベントの意義を書いている。

 ガマフヤーの具志堅隆松さんの遺骨収集の様子をドキュメントした映画『骨を掘る男』を観たとき、沖縄では6月23日の慰霊の日に向け、「沖縄『平和の礎』名前を読み上げる集い」が始まった様子も伝えてくれた。

 国籍や出身地を問わず、沖縄戦で亡くなったすべての人々の名前が軍人、民間人の別なく刻まれている「平和の礎」。
 沖縄の人々、旧日本軍兵士たち、米軍兵士たち、沖縄に連れて来られた朝鮮半島や台湾出身の人々・・・。
 何日もかけて24万を超える名前を読み上げるのだ。

 シベリア抑留のことを知ろうとすれば、必ず行きつくのは、村山常雄さんと井手裕彦さんである。
 二人のことは書いたことがあるが、村山さんはシベリア抑留死亡者4万6303人の名簿をまとめたことで知られる人だ。
 約5万5000人とされている抑留死亡者のうち、身元が特定されていない約1万5000人の身元確認に尽力したことで知られる井手さん。

 ガマフヤーの具志堅隆松さんは沖縄で遺骨を掘り続けてきたことで、尊敬してきたが、その沖縄で沖縄戦で亡くなった人たちの名前を読みあげる集いが行われていたこと。

 シベリア・モンゴル抑留死亡者の名前を読み上げるイベントが8月23日から始まるということ。

 死者の名前を読み上げるイベントのことは、知らなかったこととはいえ、語り継ぐ戦争の立場から、素晴らしい試みである。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では、具体的に名前がわかっているわけではなく、刻まれている名前を見て知るくらいのことで、どちらかといえば、無縁仏の供養ということが少なくない。

 しかし、個人的には自死してしまった知人、あるいはお世話になった人たちの墓に行き、供養の尺八を吹くときは、必ず墓に向かって名前を呼び、「来たよ」と声をかけるのが自分の流儀である。

 戦没者の名前を特定し、読み上げるということこそ、一番の供養ではないかと考える。