満州が舞台の小説『地図と拳』を執筆した作家小川哲さんが「終わらない戦争の始まり」として、手に入れた満州の権益、広大な荒野に価値を見出し、手放さないように固執したことが要因だと解釈していると語った。
その続き、8月15日の読売の6面に時系列で満州における日本陸軍の関東軍など満洲での出来事が地図入りで紹介され、小川さんが小説を書くことと、戦争に関して、どう向き合っているのか。興味深いことが語られていた。
小説を書くにあたって、150冊もの参考文献を読み込んだという小川さん。
学徒動員された祖父が2021年に96歳で亡くなり、戦争の体験をした最後の世代から直接、経験を聞く機会は失われるだろうという。
遠い過去のものになった先の大戦を現代につなげ、「僕たちの話」に読み替えてもらうものこそが小説だ。
現代社会にも戦争の種があるだろうし、それが何なのか考えなけれならない。
小説を書く者の仕事の一つは、戦争の種を見つけようとすることだと考える、と結ぶ。
担当した社会部の川端仁志記者は開戦の背景 満州通じ学びをと書いている。
当時の満州は水洗トイレや空調なども整備され、無電柱化も図られた未来都市だったが、侵略された側の中国人の犠牲の上に立つ、空中楼閣に過ぎなかったと文芸評論家川村湊さんからの話を紹介していた。
語り継ぐ戦争の立場から、自分が先の大戦に目覚めた出来事として、五味川純平『人間の條件』(三一書房)をTVドラマ化して1962年に放送された作品を視聴したことを折々書いてきた。
その五味川純平さんは『戦争と人間』(三一書房)という作品も残している。
こちらも買い求めて読んでいるが、映画化された作品を見逃しているのが心残りとなっている。
ここでも、五味川さんは小川さんの同業者の先輩として、戦争ときちんと向き合って満州を舞台に物語を紡いでいた。
何しろ、五味川作品の史料を担当していたのがあの澤地久枝さんだというのだから、執筆者もスタッフもすごいのだ。
終わらない戦争の「始まり」は満州での権益維持だとしても、戦争は生きる自由を奪うものだという自分の価値観から弱者の身の上に目が向く自分の立場としては満蒙開拓団やその満蒙開拓団に土地を奪われた中国の人々の静かな怒りというところに関心が向く。
他国を侵略したつけを支払わされたのがシベリア抑留者であったり、満蒙開拓団で帰国を果たせず、中国残留婦人となったり、残留孤児と呼ばれた人たちだから、引き揚げのことなどを取り上げる機会が多くなってしまう。
1945年8月9日未明、満州や朝鮮半島、樺太に侵攻したソ連軍。
日本人に土地を侵略された中国人に酷い目にあわされたとしたら仕方ないことだが、ソ連兵に日本人女性が性的暴行されたり、戦車に轢き殺された事実、戦後、シベリアに連行され、抑留されて強制労働された事実を語り継いでいき、いつか仕返しをしなければならないと若い頃は真剣に考えていた。
後期高齢者になってしまい、仕返しを訴える元気はなくなったが、ロシアがウクライナに侵攻した時、一人でも多くのロシア兵が斃されることを願ったのは事実である。
被害者側はやられたことをそう簡単には忘れないものだ。