昨日、8月15日、敗戦を終戦と呼ぶ日、定刻になったので、戦没者の追悼、供養を願って黙とうを捧げた。
昨日の語り継ぐ戦争は、防衛研究所主任研究官千々和泰明さん(45)が伝えてくれた「戦争の終わらせ方」について書いた。
それは、敗戦を前に、政府や陸海軍の最高幹部が「ソ連頼みの終戦を夢想」していたことで、かなり知られていたことだから、概要は承知していた。
読売の1面で伝えられたことは書いたが、続きが6面にあり、「戦略なき戦線拡大の果て」として、終戦への動きを1945年2月から8月15日まで時系列で説明してくれている。
40代半ばの千々和さんは我々の世代では肉親に戦争体験者がいることが当たり前で、守備隊2万3000人のうち9割が戦死した硫黄島での戦いから、戦死したと思われた大叔父が家族が葬儀後、無事帰還したこと。
多くの日本兵が絶海の孤島で飢えと喉の渇きの中で死んでいった。こうした肉親の体験から、戦争の理不尽さを感じたことが安全保障研究を始めたきっかけの一つだという。
20世紀以降の主な戦争の終結方法を分析する中で見えてきたこととして、戦闘で優位に立った勢力が、敵対する勢力の「将来の危険」と自軍の「現在の犠牲」のどちらを重視するかで戦争の終わり方が決まるということだ。
このことを米国のドイツ、日本との戦争、朝鮮戦争を例に、自国の兵士の犠牲より、ドイツと日本の軍国主義の危険性を重視した結果、日本とドイツは安定した民主国家になったが、朝鮮戦争では犠牲に耐えられず、妥協してしまったから、今も38度線で北と南が対峙することになってしまった。
戦争終結では、この相反する二つの価値を冷静に分析する力が求められる。
戦争を防ぐために大切なのは、どう終わらせるのか常に考えておくことだ。
以上が、6面の要旨である。
戦後79年の戦没者の追悼式が開催されたが、戦争体験者が退場していくにつれ、語り継いでいかなければならない団塊の世代の一員としては、語り継ぐ戦争として、できるだけ、発信してきたつもりである。
戦争だから、始まりと終わりがあるのが常であるが、始まりに関しては、国力の違いをしっかり検討せず、自分たちの都合のよい思い込みで戦争を始めた軍人たちの身勝手な論理というものを考えさせられた。
しかし、戦争の終わらせ方に関しては国体護持ということを市民の命、犠牲の数より上に見てきた軍人たちのバカさ加減のため、原爆がヒロシマとナガサキに投下されて、ようやく、無条件降伏を受け入れるようになったが、洗脳教育の怖ろしさを痛感させられた。
「自由のために」毎日書き続けているが、まず、言論、表現の自由がない国に生まれないでよかったと改めて思う。
北朝鮮、中国、ロシアそして、戦前、戦中の日本と言論、表現の自由がない国では、政府のやることに注文すらできない。
大事なことは想像力で、想像力が欠如している場合は、犠牲者の気持ちや家族のことなど考えないが、想像力を磨けば、戦争の始まり、終結にも役立つはずだ。
始まりに終わりはつきもののような気がするが、一旦初めてしまった戦争はそう簡単には終わらせられない。
だから、戦争にならないようにするのが智慧というものではないか。