米軍による長崎への原爆投下から79年となった9日、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。鈴木史朗市長は平和宣言で、被爆詩人の福田須磨子(1922〜74年)が被爆後の惨状や被爆者の苦しみを詠んだ詩を引用。ロシアのウクライナ侵攻と中東での紛争に触れ、核兵器が使用されることへの強い危機感を示した。午後には岸田文雄首相が歴代首相として初めて、国の援護区域外で原爆に遭い、被爆者と認められていない「被爆体験者」の団体代表と面会する。とメディアが伝えている。
8月10日の毎日によれば、式典には過去最多の101カ国・地域が参列。市はウクライナ侵攻を続けるロシアと、支援するベラルーシの招待を3年連続で見送った。イスラエルについても、パレスチナ自治区ガザ地区への攻撃を踏まえて「不測の事態が発生するリスクへの懸念がある」として招待しなかった。これを受け、米英などは駐日大使が参列しない意向を示した。
平和宣言で、鈴木市長は23歳の時に長崎で被爆した須磨子の詩「原爆を作る人々に」から「原爆を作る人々よ! しばし手を休め 眼をとじ給え」という言葉を引用。被爆者は戦後も家族らを失った悲しみや放射線の影響、差別や貧困に苦しめられてきたとし、「今こそ ためらうことなく 手の中にある一切を放棄するのだ」とした須磨子の訴えを紹介した。
米軍による原爆投下で犠牲となった人々の慰霊式を行うのは人として当然のことであるから、原爆投下から79年経っても慰霊式を行い、遠く離れた首都圏の田舎町に生まれ育った自分も原爆投下の時刻には起立して、1分間の黙とうを捧げられてよかった。
しかし、原爆投下に犠牲者への追悼と一緒に行う平和式典は岐路に立っているというのが語り継ぐ戦争という立場の自分の感想である。
被爆2世だという長崎の鈴木市長は、安全、警護を表向きの理由にイスラエルを招待しなかったことから、米英などが式典への参加を見合わせた。
慰霊式は当然のこととして、平和の式典のセレモニーより、各国の代表には、原爆資料館に入館してもらい、通訳をつけてガイドする方が効果があるはずだ。
普通の人間なら、原爆資料館で被爆者の実相を詳しく見てもらった方が非核に役立つことは確かである。
思春期から青年期にヒロシマ、ナガサキを訪れてこなかったけれど、感性が鈍ってしまってから訪れた資料館でも激しく心を揺さぶられた。
「米軍はなんてひどいことをしたんだ」と同時に、戦争を仕掛けたのは日本の軍人だという事実から、学業成績だけは優秀な軍人が、人間としてはおバカで、市民がこんな酷い目に合わされたことに怒り心頭だった。
正視に耐えないという言葉がある。
被爆直後の写真を目を見開いてしっかり見なければならないにもかかわらず、正視できない。
世界の要人に被爆者の実相を知ってもらい、非核を訴えた方が式典より効果的である。
セレモニーより、被爆者の写真をみてもらうことだ。
とにかく、一人でも多くの人に原爆資料館に入館してもらい、被爆者のことを知ってもらうことに尽きる。
ロシアとイスラエルの代表にもだ。