2024年08月06日

核廃絶訴え15か国で ヒロシマで被爆 森下さん

 語り継ぐ戦争に力を入れている読売の社会部が戦後79年の2024年も戦争の実相を伝えようと努力している。
 8月4日の紙面では、ヒロシマで被爆した森下弘さん(93)が核兵器の残酷さを世界に訴えてきたが、被爆証言などで訪れたのは15か国になる。力尽きるまで核廃絶の声を上げ続けるつもりだと伝えている。

 映画になったが、生憎観なかった『原爆の父』と言われた物理学者のロバート・オッペンハイマー。米国で原子力の平和利用や核不拡散を訴える活動をする彼の孫チャールズ・オッペンハイマーさん(49)と2024年6月、広島市内で森下さんは対面した。
 森下さんから被爆体験を通訳を介して聞いたチャールズさんは「被害を受けた人は謝罪を受ける権利があると思う」と語った。

 64年4月、米国やソ連など8か国150都市を被爆者らが巡る「広島。長崎世界平和巡礼」の折、原爆投下を命じた米国のトルーマン元大統領と面会するも「原爆は戦争終結に必要だった」と持論を述べ、謝罪は全くなかったことに怒りや失望がわいてきた。
 そのことが原動力となって、帰国後は被爆の実相を伝えることに力を注いだ。

 2012年8月、トルーマンの孫クリフトン・トルーマン・ダニエルさん(67)と面会するも、謝罪を求めたかった森下さんにダニエルさんは無言であったが、後に、米国で被爆者の体験を伝える活動をしていることを知り、気持ちは通じたようだという。


 あれから79年の朝、畑で草むしりを中断し、ヒロシマの原爆投下の時刻、犠牲者の供養のために黙とうを捧げた。

 運、不運、誰の身の上にも起こることだが、被爆を生き抜いた森下さんが93歳でお元気の様子。
 幼馴染の訃報が届き、コロナにとうとう感染したのか、ずっと体調不良だったが、まだ、咳はしているもののようやくふだんの躰に戻りつつある後期高齢者の一人である自分と較べ、90過ぎまで生きられた森下さん。神が与えた使命が被爆を語り継ぐことではないのか。

 米国のトルーマン元大統領を筆頭に、戦争を終わらせるために原爆が役立ったようなことを公言する連中が米国にはたくさんいる。

 だからこそ、被爆者の体験を語り継いでいくことが大事になってくるのだ。
 日本人だって、ヒロシマ、ナガサキに行くことがなければだんだん忘れられてしまう。
 日本が米国と戦争したことだって若い人はしっかり受け止めていないのではないか。

 8月6日と9日は、鬼畜と当時叫んだ米国への恨みを忘れてはならない日である。
 自分のような反米主義者がいる限り、米軍が日本に駐留し、日本が米国に逆らわないように監視を続けるだろう。
 原爆を落とされて、謝罪もしない米国に対し、反米、嫌米と声を大にして叫ぶ。
 米国は信用できない。