「炊飯器いらず コメ農家に光」「コメ消費減っても 市場右肩上がり」「手軽さに需要」「海外輸出に活路 工場建設中」という見出しでパックごはん市場は、時代の変化とともに成長してきたと7月18日の読売(大塚健太郎記者)がニュースの門で伝えている。
「パックごはん」の生産量は2022年まで13年連続で過去最高を更新した。コメの産地では増産に取り組む動きも。パックごはんがコメ農家を支える救世主となるかもしれない。とは記者が取材した結果の感想である。
語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援などを訴えて毎日、書き続けてきたのは「自由のために」である。
語り継ぐ戦争では、戦没、死没なさった先人たちの中で、餓死者が相当数いたことを知り、敗戦後、食料難で人々は生きることだけで精一杯だった。
米軍の激しい空襲、空爆で親を亡くし、家を壊された孤児たちはさらに生き延びることが厳しい情況だったことも知った。
だから、食の問題に関しては、最大の関心事でもある。
しかし、コメに関しては普段あまり食べていないので、偉そうなことは発言する資格がないことは承知しているが、それでも、農民、農家の味方としては、書かずにはいられない。
首都圏の田舎町で生まれ育ったが、わが家には畑はあっても農家ではないので、田んぼはなかった。
田舎町のもっと田舎で土地が低いところの親戚には田んぼがあり、毎年、コメを作っていて、そのコメを頂戴し、近所で精米したのを子どもの頃、食していたことを思い出す。
学生時代、この親戚の稲刈りの手伝いをしたことがあるが、いとこと話に夢中になって伯母に「口ではなく手を動かせ」と怒られたことも思い出した。
あれから幾星霜、いとこは百姓が大嫌いだと言い、自分は、狭い土地ながら、有機無農薬で野菜をつくっている。
子どもの頃から、主食といえば、コメに決まっていて、ずっと食べ続けてきた。40代早々、炎症性腸疾患クローン病だと診断され、一時は食事制限で、栄養剤だけで過ごしていた時期もあったが、その後、コメだけはどういうわけか食事制限はなく食べられた。
古希まで生きられるとは思いもよらないことだったが、メディアでシベリア抑留者が帰国後、ロシア製法の黒パンを食していることを知り、販売元を調べたところ、秋田の大館だと知り、自分も抑留者が食していた黒パんを食べてみたくなり、注文して食べたみたら、くせになったというか、体に良さそうなので、現在はこれを主食というか、毎日食している。
それでも、日本人である自分が主食としてきたのはコメであることは間違いなく、コメさえあれば、食料の心配はないと考えてきた。
パックごはんを買い求めて食したことはないが、炊飯しないで食べられるのは便利なことだし、消費が伸びていることは大いに喜んでいい。
食料自給率でコメだけは合格のはずだが、いずれ、食料は外国から輸入できなくなることはまちがいない。
パックごはんでコメの生産に貢献してくれれば、ほかの食料にも波及するかもしれない。
とにかく、食料自給率をアップさせなければダメだ。