2024年07月18日

ビキニ水爆実験から70年 吉永小百合さんにインタビュー

 NHKクローズアップ現代で「惨めに死んでいった仲間のためにも、“なかったこと”にはできない…」今、日本である裁判が続いている。70年前、ビキニ水爆実験で被ばくした“第五福竜丸以外”の漁船の元乗組員らの救済を巡る裁判だ。一度は日米両政府の間で政治決着が図られながらも、地道な調査で掘り起こされたビキニ事件の実態。長年、事件を見つめてきた吉永小百合さんと共に、事件の“真相”と元乗組員たちの70年について考える。」と㏋にある。

 続いて、“隠された被ばく者” ビキニ事件から70年ということで、吉永小百合さんへのインタビューについて、「『原爆の詩』を朗読するなど、30年以上にわたり戦争や核、平和への思いを発信し続けている俳優・吉永小百合さん。その原点となった出来事があります。70年前に起きた“ビキニ事件”です。

 いまから70年前の1954年にアメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験により、日本の漁船『第五福竜丸』が被ばくしました。ところが、事件は日米両政府により政治決着が図られます。他にも多くの漁船が被ばくしていたにもかかわらず、第五福竜丸以外の漁船員たちの健康被害は見過ごされてきたのです。

 核の脅威が再び高まるいま、“隠された”被ばく者たちへの思いを吉永さんに聞きました。」と㏋にある。

 1985年、高知県の高校生たちが地域の歴史を調べていたとき、漁船員の被ばくの証言にたどり着き、実態調査を始めた。その活動を記録した映画『ビキニの海は忘れない』のナレーションを担ったことで、ビキニ環礁水爆実験のことを詳しく知ることになった。という吉永さん。

 1986年に『夢千代日記』というドラマで胎内被ばく(をした女性)の役をやったことで、被ばく者の団体の方から原爆詩を読んでほしいという依頼があり、初めて東京の渋谷の教会で読み、ボーイスカウトとか学校とかいろいろなところで読んだのを高校生の指導をされていた山下先生が知って依頼された。

 事実をみんなが知ることがまず大事。核実験で被爆したにもかかわらず、治療も受けられずということがずっと続いてきて、なんの救済もなく生きてこられた方がたくさんいることを知るだけでもいい。という吉永さん。

 (ビキニ事件の被害を訴える人たちは)被爆者手帳も持っていない。私たちになにができるかをまず考えなければいけないし、ただ寄付するだけではなく、国を動かしていくような力を結集させる、みんなで声をあげればできるのではないか。


 NHKのドラマ人間模様で『夢千代日記』を視聴して、胎内被曝者の夢千代こと永井左千子と演じた吉永小百合さんが自分の中で、同一人物になってしまっている。
 年齢もそうなら、夢千代を演じることで吉永小百合さんが核兵器廃絶、戦争反対であろう夢千代の願いを体現しているのだと勝手に自分で思い込んでいる。

 月に一度は映画館に行くことを自分に課しているくらいだから、映画は好きだし、映画俳優では、今や、この人吉永小百合さんくらいしか名前でお客が呼べる人はいないと思っているから、その人が第五福竜丸と縁あって核実験の怖ろしさを知り、映画の仕事で原爆ドームを身近に感じている由で、夢千代と相俟って声なき声を拾いあげて発言されていることは見事な生き方である。

 敗戦後、79年経って、自民党政権がやたらに戦争準備に余念がない危険な兆候があるとき、核兵器廃絶、戦争反対を唱えるのは勇気がいるはずだ。

 普通なら、仕事がなくなってしまうだろう。
 ところがNHKだから、吉永小百合さんに出演を依頼できるし、これに吉永小百合さんがきちんと向き合って快諾されたことが嬉しいことではないか。

 戦争に反対する発言をしていた坂本龍一さんが吉永小百合さんの朗読に音楽で協力されていたが、亡くなってしまった。

 明確に核兵器廃絶、戦争反対と態度を明らかにしているのは吉永小百合さんを筆頭に数少ない。

 吉永小百合さんくらいになれば、誰も何も言えないから、その存在価値が高い。

 戦争のことを、核兵器のことを知ることから始まり、みんなで声を上げていけば、国を動かすことができると話される吉永小百合さんには、「しっかりしろ」と団塊の世代の一員である自分に喝を入れてもらった気がする。

 吉永小百合さんは声高に核兵器廃絶、戦争反対と訴えるわけではなく、口調は物静かで、知性と理性、さらに凛とした美しさに時には微笑みを浮かべながら、大事なことを話していただいた。

 NHKのスタッフにも感謝したい。