事件のニュースをとかく流しっぱなしのメディアを代表する新聞。
記者が過去の事件のその後を取材し、当事者の今を伝える読売の優れた連載「あれから」そのVol.48甲山事件「法ってなんですか」「22歳 3度目無罪まで25年」という見出しで、7月14日の読売(渡辺嘉久記者)が伝えてくれたのは国家権力の犯罪である冤罪事件の被害者になることの怖さであった。
兵庫県西宮市の知的障がい児施設「甲山学園」で1974年3月17日、12歳の女児と男児が園内の浄化槽から遺体で見つかった。兵庫県警は職員による犯行と見込み、当時22歳だった保母の山田悦子さん(72)(旧姓沢崎)を4月7日逮捕した。
1日12時間前後の取り調べを受ける「代用監獄」の日々は、全てが支配されていると感じた。逮捕10日後の17日、嘘の自白をしてしまう。
しかし、無実を訴え自殺を図り、その後は否認を貫いた。物証はない。処分保留で釈放、不起訴となる。
神戸検察審査会の不起訴不当議決で起訴され、85年10月17日、神戸地裁角谷三千夫裁判長が無罪を言い渡し、大阪高裁の差し戻し判決を経て、99年9月29日、大阪高裁が検察側の控訴を棄却、3度目の無罪判決。10月8日、検察が上告断念、無罪確定。となる。
歴史家の奈良本辰也さんが「歴史は現代社会の幸せと結びつく紐解き方をしないと生きた学問にならない」という言葉に触発され、冤罪体験をどう紐解くか。考えた結果、山田さんは若者への法教育に取り組む。
「闘わずして人権は守れない」と次世代へ託す。
甲山事件のことは知っていたが、当時、メディアがほとんど警察がリークする情報を垂れ流していたので、未熟だった自分は疑いもしなかったことを思い出す。
1審の非公開尋問で、元園児が女児を浄化槽に転落させて蓋を閉めた。と述べていることで事件の真犯人はわかっているはずだ。
話題になった「天城越え」でも、似たような構図だった。
ヒロインと一緒にいた少年が被疑者だったはずだが、少年には人を殺すなんてことができるはずがない。という思い込みが捜査する側にはありがちだ。
浄化槽の重い蓋を子どもには開けられないというのも思い込みにしか過ぎない。
名張の毒ぶどう酒事件の奥西勝さんの無実を信じ、再審請求が認められるように支援活動をするようになって初めて、冤罪事件のことがわかってきた。
冤罪事件かどうか。事件のニュースが流れたときはよくわからない。
警察は自分たちに都合のよいニュースをリークというのかメディアに教えると、警察担当の記者がいるメディアはそのまま垂れ流すことで警察は自分たちが正しいのだと世論に思い込ませることに成功してしまう。
「学び 伝える「法は温かい」」「法の精神は人間の心から生まれる」と訴える山田さん。
「法を司る人間の心の有りようにかかっている。自白を強いる代用監獄が続く限りはなくせない」というのが冤罪はなくせるのかという問いに対する山田さんの答えである。