水俣病の患者・被害者団体と伊藤環境相の再懇談が始まった8日、団体側は、認定患者の補償充実や認定制度の見直し、未認定患者救済の再開、係争中の訴訟の解決など多岐にわたるテーマについて主張や要望を伝えた。とメディアが伝えている。
7月9日の読売によれば、認定制度見直し訴え この日の再懇談は、5月1日の懇談に参加した8団体のうち6団体が対象。個別の団体との意見交換も間に挟みながら、午前8時半から午後5時半頃まで約9時間にわたり行われた。
認定申請を熊本、鹿児島両県に棄却された未認定患者らでつくる「水俣病被害者互助会」の佐藤英樹会長(69)は、患者認定制度について「妹だけ認定されて姉は認定されなかったり、子どもは認定されて母親が認定されなかったりする例もある」と指摘。伊藤氏に対し、「患者を切り捨てることばかり。もうちょっと患者のことを真剣に考えてほしい」と訴えた。
胎児性患者の坂本しのぶさん(67)も、「私と同じ年に生まれて認定されていない人がいるのはおかしい。本当に考えて、ちゃんとするようお願いします」と求めた。
2012年に申請が締め切られた水俣病被害者救済法に基づく救済措置に代わる新たな救済を要望する声も上がった。被害者団体「水俣病不知火患者会」の岩崎明男会長(70)は、救済対象とされた地域以外からも多くの被害者が見つかったことに触れ、「被害が不知火海(八代海)沿岸一円に広がっていたことは明らか。対象外地域の被害者の早期救済を」と訴えた。
「水俣病胎児性小児性患者・家族・支援者の会」との個別懇談には、母親の胎内で水銀の被害を受けた胎児性患者ら6人が参加した。年々悪化する患者の症状などについて訴え、認定された後も病状の進行に応じてより高い水準の補償を受けられるようにする「ランク変更」の柔軟な運用を求めた。
環境省というお役所ができたのは、水俣病など四大公害病が起きたことと大いに関係があるのではなかったか。
そこのお役人が水俣病患者との懇談会を形ばかりやって、患者の訴えに真剣に向き合おうとしなかった。
懇談会を打ち切り、批判されると再び懇談会に応じたが、メディアなどからの批判を怖れ、時間だけはたっぷりと応じた。
何事もそうだが、相手とのトラブルを解消するときには、まず、話を聴くところから始まる。
心情を真剣に訴える患者たちときちんと向き合うところから、解決の糸口が見えてくる。
水俣病は公式確認されたのが1956(昭和31)年5月1日。毎年、5月1日がやってくると慰霊祭を水俣市と患者会とで別々に開催している。
発症から長い年月、不知火の海に面した地域の住民ということで、患者の病状も様々なら、地域も熊本だけにとどまらず、国からの認定に関しても、未だに認定されていない人がいて、患者会も分かれてそれぞれの思い、願いの許に集まっている。
自分の連れ合いが生まれた年に公式確認されたが、現実にはもっと前から水俣では患者は苦しんでいたことはよく知られたことである。
差別も酷かった。村八分にされたというほどだ。
環境省は懇談会で患者と向き合おうとしていなかったことが露見してしまったことを汚名返上のチャンスととらえ、読売の記者が伝えてくれた患者の要望に今度こそ真剣に向き合うべきだ。
水俣条約で名前が使われるほど世界的に知られている水俣病である。
いくら何でも、患者が死ぬ前に真剣に要望を実現させなければ、国際社会に恥ずかしいではないか。