厚生労働省は14〜27日までに、太平洋戦争の激戦地・トラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク州)沖で戦没戦から遺骨収集を行い、24日までに撃沈された「愛国丸」から30年ぶりに遺骨を収容した。戦没船を巡っては、観光ダイバーが遺骨の写真を撮り、SNSで拡散するケースがあったため、厚労省が収容を強化している。現場では24日も遺骨の周りに集まるダイバーが確認された。と6月28日の読売(加藤学記者)が夕刊で伝えている。
「愛国丸」の調査は1994年以来で3度目となる。
水深60bの深さに沈む「愛国丸」。潜水士の躰に強い負荷がかかるため、一人の潜水士ができる作業は1日1回20分以内と短い。
今回の調査では16柱の遺骨が収容された。遺骨の状態は良く、DNA鑑定で身元の特定を進める。
戦時中、トラック諸島には日本海軍の拠点が置かれており、1944年の2月17日〜18日、米空母部隊の攻撃を受けて約40隻の艦船が沈められた。
紙面では、母親の許に届いた手紙を前に、父親の忠三郎さんへの思いを語る遺族の松岡俊郎さん(岡山市)のことが紹介されている。
語り継ぐ戦争で300万人以上の人が戦没、死没したことを知り、その人数分の生と死の物語があったことだろうと推察する。
戦後79年となる2024年も、早や半年が過ぎてしまった。
還暦、古希と節目の年が過ぎ去り、いつ死ぬのかなと思っているうちに後期高齢者になってしまった。
自分の死を迎える意識が高まるにつれ、戦没、死没した人、遺された家族のことが他人事ではなくなっていく。
戦争では、陸、海、空と願うか願わないかに関わらず、軍隊に配属されたりすることで戦争に巻き込まれてしまう。
空と海は陸と較べると、死と隣り合わせだが、陸のように餓死することは少なく、玉砕と美化していたが、集団自決に追い込まれることは少ない。
兵隊ではなく、銃後と呼ばれた内地では、戦況が不利になれば、米軍B29などで空爆、焼夷弾で焦土とされた。
それでも、海に沈められた艦船にとどまっている遺骨はできるだけ収集してやらなければ、国のために戦った人たちが報われない。
A級戦犯が合祀されている靖国神社にばかりお参りしている保守派と呼ばれている連中は、戦没者の遺骨収集も、シベリア抑留者の救済にも冷たい態度だった。
今の平和を築いてくれたのは、戦没、死没なさった先輩方のお陰である。
何としても、遺骨を収集し、故郷、家族の許に帰してやりたい。