1994年6月27日、オウム真理教教祖で元死刑囚によって起こされた「松本サリン事件」で、警察やメディアは発生当初から第1通報者の河野義行さんを犯人視し、批判を受けた。事件から30年が過ぎた今も、メディアの責任や役割を厳しく問う声がある。と6月3日の朝日のDIGITAL(高木文子記者)が伝えている。
連れ合いの澄子さんがサリンで倒れ、自らもサリンを吸って体調が悪くなり、救急車を呼んだ河野義行さん。
事件当時は、噴霧されたのが猛毒のサリンだとは無論わからなかったことがあったにしても、思想的に河野さんのことを体制側だと思っていなかった長野県警は、河野さんを犯人とするべく第一発見者の河野さんの自宅を家宅捜索したところ、青酸化合物などの薬品が出てきたことから嫌疑を深めた。
警察が河野さんが犯人であるとの見立てで、自分たちに都合の良い情報を流し、そのままたれ流し続けたメディアは、河野さんのことをきちんと取材もせず、犯人扱いを続け、1995年3月20日、オウム真理教の教祖が起こした地下鉄サリン事件で、明確に冤罪だったことが証明されるまで続いた。
連れ合い澄子さんが事件後、意識不明の状態が回復しないまま、14年後の2008年8月、60歳で亡くなるまで、懸命の介護を続けた河野さん。
その後は、鹿児島に移住したことまでは報道で伝えられているが、現在のことは詳しいことはわかっていない。
オウム真理教にとって不都合な存在だった坂本弁護士一家を殺害するように指示したオウム真理教教祖。教祖の指示で、1989年11月、坂本弁護士一家が突然、住居から姿を消したとき、捜査したのは神奈川県警だったが、坂本弁護士が体制側ではなかったことから、真剣に現場検証に取り組むことなく、オウム真理教のバッジが現場に落ちていたにもかかわらず、真剣に事件と向き合わなかった。
さらに、警察は創価学会が政治の世界で自民党と自公政権を構成していることもあって、宗教団体に対し、捜査が及び腰となってきた事実もある。
オウム真理教の教祖によって引き起こされたサリン事件での被害者は気の毒である。殺された被害者、後遺症で苦しみが続く被害者。大事な人を奪われた家族、遺族の苦しみ。さらには、河野さんのようにまるで犯人であるかのように報道をされ続けてたにもかかわらず、捜査員や記者たちはきちんと謝罪したということを耳にしていない。
警察官と記者はこの点厳しく反省すべきである。
捕まったオウム真理教の信者のうち、死刑判決を受けた元死刑囚はすでに刑を執行されたが、偶々、事件に遭遇してしまった人たちの哀しみが30年経っても癒えることがないことに思いやる必要がある。