NHK北海道スペシャル「北海道兵、10805人の死」を視聴することができたので書いておく。
「米軍が“ありったけの地獄”と呼んだ沖縄戦。そこで、10805人もの北海道兵が戦死した。死者が1万人を超えるのは、日本の端と端、沖縄県と北海道の出身者だけである。だが、戦死公報を見ると、「誰が、どこで死んだのか」だけしか記載されていない。彼らはどのように死んだのか。死に至るまでどのように生きようとしたのか。戦後78年、消えつつある記憶の断片を、沖縄と北海道で掬い集める。」と㏋にある。
1964年に北海タイムス(廃刊)が全267回にわたり、北海道出身者の沖縄戦を描いた連載「あゝ沖縄」。約40万字にも及ぶ膨大な新聞スクラップを、筆者である故清水幸一さんの妻藤子さん(79)ら、北海道月形町の人たちが2年以上かけて作業し、ネットに掲載していた。と6月23日の朝日のDIGITAL(佐々木洋輔記者)が伝えている。
沖縄戦で沖縄県民に次ぐ死者1万807人を数えた北海道。主力を担った第24師団には道民が多かった。連載には延べ1835人の兵士や民間人らが登場し、兵士の出身地や戦闘行動、死亡した場所など沖縄戦の詳細な戦闘記録が書かれていた。
沖縄で遺骨遺品収集と返還活動をするフリージャーナリストの浜田哲二さん(61)と律子さん(59)夫妻=青森県深浦町=が、第24師団歩兵第32連隊の第1大隊長・伊東孝一大尉から預かった手紙の返還のことを伝える記事と共に紹介されていた。
伊東大尉は敗戦翌年、沖縄の土とともに、部下の最期を伝える「わび状」を600人の遺族に送り、356通の返信を受け取っていたという。
この手紙を世に出すことで「沖縄戦の真実を多くの人に伝えてほしい」。浜田夫妻は伊東大尉から生前、そう託されていた。というのだ。
このことは6月23日のマイあさラジオでも取り上げていた。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で沖縄を訪れ、南部戦跡を主に慰霊碑に手を合わせてきた。
結果、沖縄戦のことを詳しく知っているような錯覚に陥っていたことを反省している。
北海道兵のことは全く知らなかった。
事前の予習が少なく、ガイド兼運転手氏にお任せしていたことも自分の至らないところだった。
沖縄の守備隊が32軍でその主力を担ったのが24師団で、もともと満洲の守備隊として結成されたから、北海道出身者が多かった。
戦局が不利になり、満州から南方に送られ、沖縄の守備隊として24師団は本島で沖縄戦を戦うことになった。
24師団は沖縄戦の激戦地として知られるシュガーローフ同様の前田高地(ハクソーリッジ)の戦いで知られる。
沖縄は沖縄戦で戦没死没した人を敵味方の区別なく平和の礎に名前を刻んでいる。
戦没死没した人が1万人を超えるのは沖縄に次いで、北海道だということで、単なる偶然とは思えない。
ヤマトは琉球人を差別していたし、北海道は開拓民の前はアイヌで彼らもまたヤマトから差別されていたし、開拓民は戊辰戦争に敗れた幕府側の人間が入植した歴史がある。
当然、官軍側が権力者になった明治維新以降、被差別側だったことは明白である。
日本軍は本土決戦だと勇ましいことを言っていたが、結局、米軍と戦ったのは、沖縄だけだ。
沖縄戦のことをもっと勉強することで、平和というものをもっと考えていくことができるのではないか。
北海タイムスは佳い仕事をしてくれたし、NHKもがんばってくれている。