月に一度の映画館行き、6月は奥間勝也監督『骨を掘る男』を観てきた。
朝から、梅雨に入ったかと思わせられる雨が降る中、東京は東中野のポレポレ東中野に行ったのだが、駅からすぐ近くにあった「ジャックと豆の木」という古い喫茶店が5月末で閉店となっていていささかショックを受けた。
ガマフヤー具志堅隆松さんが沖縄戦の遺骨収集を40年以上続け、およそ400柱を探し出していることに着目した監督が現場に同行して映像化したドキュメンタリーである。
沖縄本島では戦後、79年経っても南部など激戦地には今も3000柱の遺骨が収集されていないとされている。
その遺骨が含まれた本島の土が辺野古新基地建設の埋め立て工事に使われようとしていることに具志堅隆松さんがハンガーストライキで抗議する様子が映像に残されている。
さらに、国会の議員会館で防衛省の役人に遺骨が含まれた土で埋め立てしないように要請する具志堅さんたちの姿を見て、沖縄戦で、国のために戦没死没した人たちのことを全く考えようとはしない日本政府というものが全く信用できないことが伝わってきた。
その具志堅さんに遺骨収集のことをご教示いただいたのは2016年の8月のことで、那覇の真嘉比地区にあるハーフムーンヒルと米軍が呼んでいた小高い丘にある公園だった。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚での出会いで忘れられない出来事のベスト3になるできごとだった。
具志堅さんは自らの遺骨収集を観念的な慰霊ではなく、「行動的慰霊」だとおっしゃっている。
出逢ったことのない人の死を悼むことができるのか。という問いがあることを承知でいうなら、人は出会ったことがない人の死を悼むことができると断言できる。
自分の慰霊のための行脚は、具志堅さんのように遺骨収集という形になって成果がでているわけではない。
自分の慰霊のための行脚は何も形が残らない。けれど、人は生まれて、何も残すことができなくて死んでいくものである。戦没者のことを気にかけ、手を合わせる人間がいた。ということでいいのだ。
戦没、死没して、遺骨が収集されない事実は、この国のために死んではならないことを証明している。
戦争をしてはいけない。巻き込まれてもいけない。
国は罰当たりにも、辺野古の新基地建設工事で沖縄戦の遺骨が含まれた土で海を埋め立てようとしている。
家族なら、墓参りくらいはしてくれるだろうが。国は戦没しても何もしてくれない。
国がやるべきことを具志堅さんが代わりにせっせとやってくれている。
具志堅さんにエールをおくりたい。
沖縄戦の敵味方なく全戦没者の名前が刻まれている平和の礎から、ひとり一人の名前を読み上げる運動があり、映画で紹介していたそのシーンは心を揺さぶられた。
戦争で没した一人ひとりに人生があった。死にたくなかったであろうに、戦争で殺されてしまった。
その一人一人に思いを馳せることが大事である。
大切なことを伝えてくれる映画だった。
一人でも多くの人に薦めたい。