2024年06月21日

奈良の花街再生に奮闘 凛とした菊乃さん

 奈良・猿沢池のほとりにある元林院(がんりいん)は、かつて200人の芸妓(げいこ)や舞子でにぎわう花街だったが、いまでは芸妓の菊乃さんのみに。花街再生を目指し、兼業の芸妓・舞子を認める仕組みをつくり、6月8日、3人が見世出しを迎えた。

 写真で伝える日本、「ズームアップ」というタイトル、「奈良の花街 守り抜く」という見出しで、6月17日の読売が夕刊で伝える芸妓。衰退した奈良の花街を再生させようと頑張るお茶屋「つるや」の女将で、奈良県唯一の芸妓菊乃さん(51)が三絃を膝の上にアップした髪、着物の袖から垣間見えるかいなはあくまでも白く、凛とした姿はほれぼれするほどだ。

 明治初期に始まる元林院は最盛期の大正〜昭和初期、十数軒のお茶屋が並び、200人ほどの芸妓・舞子がいたとされる。1970年代から徐々に衰退し、コロナ禍の2022年春、芸妓は菊乃さん一人になった。

 本来は住み込みで芸を学び、1年ほどかけてお座敷に出るが、厳しい修行ではなり手が来ない。兼業を認め、月数度の通い稽古を経て、半年でデビューする仕組みを作り、23年8月、兼業芸妓・舞子「古都花」の募集を始めた。
 応募30人から選んだのは3人、県外の26から37歳。「元林院の㏚につながる」との理由でSNSのフォロワー数を選考の決め手にした。
 「芸妓を専業でやりたいという人が現れてくれたら」と願う菊乃さん。


 日本大好き人間の一人であるから、伝統芸能、伝統工芸などの担い手を応援している。
 伝統芸能の一つである日本舞踊、三絃、地歌などをそれぞれ身につけ、着物姿で接客する芸妓には特に思い入れがあり、応援したくなってしまう。

 2018年8月に東京は三多摩で絹織物が盛んだった時代から歴史のある八王子の花街で芸妓が減ってしまったが、置屋「ゆき乃恵」をとりしきるめぐみさんらの尽力で少しずつ後継者が育ちつつあるということを書いた。

 同じ歴史があるとはいうものの、較べようがないほどの古都奈良には元林院町に花街があっただけでなく、木辻町や生駒市に宝山寺新地、大和郡山市に洞泉寺などの遊廓があった。

 花街には芸妓の所属する置屋と遊女、女郎と呼ばれた女性たちが搾取されながら身を売らされた遊廓があったりしたものである。

 時の流れで古都奈良に芸妓一人とは哀しすぎる話であるが、凛とした姿が美しい菊乃さんの尽力で若手が育ちつつあるとのことで嬉しくなった。
 兼業を認めるとあったが、需要と供給の関係で、専業では食べていかれないとなれば兼業もやむなしである。

 カネがありながら、芸者遊びに興ずる人が少なくなってしまったのは残念なことである。
 しかし、カネ持ちが遊ばないなら、一般の人たちにも芸を見せることで、需要を喚起することくらいはできるはずだから、何としても、芸を磨いて、後継者が育つのを応援してほしい。

 接客業を論じた芸双書6南博・永井啓夫・小沢昭一『あしらう―接客婦の世界』(白水社)を買い求めて読んでいるが、こちらはどちらかといえば、廓の話が主で、同じ花街で働く女性とはいいながら、接客の内容が少しばかり異なっている。

 日本舞踊、三絃、鼓、箏に地歌などに着物姿とくれば、接客のプロ芸妓さんとなる。
 日本の伝統芸能の担い手でもあり、世界有数の接客業として、エールをおくりたい。
 京都に舞妓がいて、奈良にはいないでは同じ古都としてあんまり寂しすぎるではないか。
posted by 遥か at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝統芸能、伝統工芸