大津市で保護司新庄博志さん(60)が自宅で殺害された事件を受け、新庄さんが担当保護司だった男性(27)が読売新聞の取材に応じ、やりきれない胸の内を明かした。「以前は社会でまっとうに生きることを諦めていたが、新庄さんが居場所を作ってくれた。恩返ししたかったのに、悔しい」と語った。
男性が新庄さんと出会ったのは18歳だった16年。保護観察処分を受け、担当保護司となったのが新庄さんだった。父親のいない家庭で育ち、家での食事はいつも一人。さみしさから非行に走った。当初は「更生への意欲を持てずに新庄さんを敵対視し、うそをついたこともあった」と振り返る。
21年、収容先の刑務所に届いた手紙では「保護観察期間中に再犯に至った事は私もいろいろ考える機会となりました。それも一度ではなく二度も」とし、「ダメな事はダメとしっかり伝えるべきだと思っています。社会の門を叩き、門をくぐって来てください」と記されていた。自分と真剣に向き合おうとする姿勢に、「この人の意見は聞いた方がいいし、何を話しても大丈夫」と思えた。
男性は、「よそ行きの服がいるやろ」と新庄さんから7年前に譲り受けた紺色のジャケットを今も着続けている。「新庄さんは決して相手を否定せず、寄り添ってくれる父親のような存在だった。僕ができる生き方をして新庄さんに喜んでもらいたい」と話している。
昨日、6月の第三日曜日は父の日だった。
生まれる前から読売新聞を購読してきたわが家に毎朝、夕新聞を届けてくれる配達員にはいつも感謝している。
その読売の配達を担当している読売センター所長、スタッフ一同名でご愛読の皆様「きょうは父の日」というB41枚のメッセージが手許に届いている。
父の日に届くくらいだから、当然、母の日には毎年届く。
中学生と父親が散歩の道すがら「人は何のために生きるんだろうね?」問いかける息子に「人のために何かを一所懸命する。人間って人の役に立つために生きているんじゃないかな」と答える父。息子は父の姿が大きく見えたという一節があった。
恩を仇で返す輩に殺害されてしまった保護司の新庄博志さんに世話になったという27歳の青年が取材に応じ、「よそ行きの服がいるやろ」と新庄さんから譲り受けた紺色のジャケットを身につけていたそうな。
所謂シングルというか父親がいない家庭で育ち、寂しかったことから道を過った青年を諭す新庄さんはまるで青年にとっては父親のような存在であったのだろう。
訃報を知り、自宅の前に花を手向け、冥福祈るとともに、前を向いて生きていくと決心するのだ。
自分の父親は召集され戦地に送られるも、無事に帰国を果たしたが、16歳になったばかりの夏に病死した。
滅茶苦茶厳しい親で世の中で自分の父親ほど怖い存在はなかったが、小学生の時から畑を手伝わされたことが役立ち、有機無農薬での野菜作りを実践することができているのは父親の指導のお陰である。
青年には父親がいなかったが、早くに亡くなったとはいうものの自分には父親がいた。その差は大きいだろう。
その父親代わりのような保護司の新庄さんを殺害された青年には二度と保護司のお世話になることがないように願っている。
「誰かのために」人のために役立つことを実践して恩を仇で返されて殺害されてしまったが、新庄さんと保護司たちが残した財産は社会的に大変意義深いものがある。
新庄さんのご冥福を祈る。