明星大学(日野市)と読売新聞立川支局が共催する連続市民講座「わたしたちの多摩」の第2回が25日、同大日野校で開かれた。柳川亜季准教授が「多摩の里山を楽しむ ―『里山なんて…』から始まった私の旅」と題して、世界の乾燥地で進む砂漠化の問題、日本や多摩地域での里山について講義し、501人が参加した。と5月29日の読売が伝えている。
「SATOYAMA」は、生物多様性の保全と人間の福利向上のために、日本の里山のように、人間が周囲の自然に寄り添いながら農林漁業などを通じて形成されてきた二次的自然地域を指す。
地球の表面の約3割弱が陸だが、そのうち最も多いのは乾燥地であり、乾燥地の劣化、砂漠化が進んでいる。
日本の食料自給率は4割を下回り、多くを輸入に頼っているが、これが意味するところは、輸入先の国の資源を間接的に消費しているということだ。水資源だけで、日本人1人当たり約1000リットルの海外の水を毎日消費している。このように、私たちの暮らしと乾燥地で進む砂漠化は関係している。
このような問題意識から、モンゴルでの調査をしてきたが、遊牧と呼ばれる放牧システムが長期にわたり営まれてきたが、食の多様化で、野菜の需要が高まり、耕作地が増加し、砂漠化している。周りの自然の草原では風食を防ぎ、不毛の耕作地からの飛砂を捕捉している。
日本の年間降水量は世界平均の約2倍の1700ミリだが、 急峻な地形のため、河川の水はすぐに海に流出してしまい利用可能な水資源量が限られる。また、日本は火山列島であり、特に関東では火山灰が降り積もっている。
このような恵まれない水・土壌環境において、日本では、水路や田畑を整備し、水路を使って、し尿を効率よく回収、散布し、持続的な農業を営んでいた。
しかも、先人たちは住まいの近くに里山を作り、燃料のため薪炭林としてコナラやクヌギ林を設けた。
こうして命をつないできたが、その里山の景観が都市開発で失われてていく。
以上が概要である。
ご先祖のお陰で狭い面積ながらも、有機無農薬での循環型農業を実践しているので、環境問題には非常に敏感である。
明星大学の柳川亜季准教授の話で心を揺さぶられたのはモンゴルの遊牧民が生産性の低い草原を持続的に使うため、季節ごとに放牧の場所を移動する遊牧システムを発達させてきたことで、国土の砂漠化が防げたことはまさに先人の知恵だということ。
ところが、食の多様化で野菜を作るために耕作地が増えると皮肉なことに砂漠化するというのだ。
さらに、食料自給率が4割を下回る日本では輸入先の国の資源を間接的に消費しているという見方である。
私たちの暮しと乾燥地で進む砂漠化は関係しているというのだが、そんな意識は持ったことがなかった。
先人の知恵には恐れ入った。
標高の高いところにため池を作り、そこから水路を下方に延ばし、水田に水を送りながら、低い所には畑を配置。水田は洪水時には自然のダム機能を発揮するし、灌水時には土壌の養分分解速度を低下させる。
乾燥地アフガンで医師でありながら、灌漑用水を敷設した中村哲先生は恩を仇で返した馬鹿なテロリストに殺害されてしまったが、目の付け所は素晴らしい。
水がなければ、作物は育たないからだ。
里山で燃料の炭を作ったことも特筆される。
「ポツンと一軒家」を視聴し、ご先祖から引き継いだからと言って、当代が自給自足に近い生活で守っている姿にいつも感動してきた。
食料自給率にしても、他国における資源を日本が食料を輸入することで、食いつぶしていると考えれば、自給率を上げることをもっと真剣に考えていく必要があるのではないか。
里山の有難みを考えたことがあまりなかったような気がする。
住環境を考えるとき、樹木がどれほどあるかということが価値になることは気づいていた。
都市部における農地も意外と重要になってくるのではないか。