県内の被爆者団体として最も歴史が長い「長崎原爆青年乙女の会」の集いが19日、原爆資料館前の記念碑で開かれる。1982(昭和57年の国連軍縮特別総会に登壇し、自らのケロイドの写真を手に「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウオ、ノーモア・ヒバクシャ」と演説した反核、平和運動家の山口仙二さんの演説を、高校生が朗読する。と毎日新聞などが伝えている。
同会は56年5月に設立。結成40年の96年に記念碑を建て、活動を次世代につないでいくための集会を2022年から開いている。
今朝のNHK「おはよう日本」でも、山口仙二さんの国連演説が流され、戦後79年、被爆者、戦争体験者が退場し、世の中が次第に戦争に巻き込まれようとしていることに警鐘を鳴らしていた。
長女野田朱美さんが「反核、平和への願いというものは父親の影響かも」と語っていたのを知り、どうしても書いておきたくなった。
今成元昭訳注 『現代語訳対照方丈記付発心集(抄)』(旺文社文庫)の「無常のことわり」にあの有名な「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
全くその通りだといたく感心し、手許にいつもこの文庫本がおいてある。
要するに人間は死ぬということであり、世の中の事象も変わっていくものだと解釈してきた。
戦争をやってはいけないことがわかっていながら、また戦争をやるのが人間である。
原爆投下も同じことである。
ところが、戦争で酷い目に遭いながらも、生き残った人が健在でいるうちは、反戦への抑止力にこの人たちがなるが、世の常で、人は生まれた以上、死ぬことになっているから、同時に抑止力がなくなっていく。
山口仙二さんが国連演説をした1982年は、戦後37年で戦争で酷い目に遭った人、被爆者も多くが健在だったから、ケロイドの写真を示しながらの訴えも人びとの心を揺さぶった。
戦後79年ともなると、戦争で酷い目に遭った人も、長生きの人はともかく、退場していった人たちの方がが大幅に増えている。
そこで、戦争を被爆を語り継いでいくことが極めて重要になってくる。
各地では体験者からのバトンを受け継ぐ形で、次世代が戦争体験はなくとも、戦争を語り継ぐことができるようになってはいる。
しかし、臨場感というか、体験者だけが知る恐怖感などはなかなか想像力だけでは表現することは難しい。
それでも、高校生が山口仙二さんの国連演説を朗読する試みは評価できる。
ご本人のスピーチのようには心を揺さぶることができなくとも、同じ世代の人には彼らの方が訴えが届きやすいかもしれないからだ。
同世代の人同士、戦争を語り継いでいってもらえば、抑止力になるはずだからである。
何故なら、戦争になれば、若者が一番先に銃をもたされることになるからだ。