NHKETV特集「汚名 沖縄密約事件 ある家族の50年」を視聴することができたので書いておく。
「沖縄返還時の日米の密約に迫った新聞記者、西山太吉の逮捕から52年。起訴状に書かれた「情を通じ」が国家の密約の問題を男女のスキャンダルへと塗り替えていった。
渦中にあった太吉の妻、啓子がつづった日記がある。国の圧力や社会の好奇の目の中でもがき苦しんだ夫婦の記録でもある。
著書「密約」で知られる作家、澤地久枝が読み解く啓子の葛藤。残された家族が初めて知る両親の苦悩。事件に翻弄された記者と妻の思いに迫る。」と㏋にあった。
1972(昭和47)年5月15日、沖縄が米国の統治から返還された。
返還にあたり、基地の原状回復費用を米国が負担するはずが、日米戦争に敗れた力関係から、日本政府が負担することになった。沖縄が返還されても特別な費用負担はないように説明していた政府は、国民に対し、そんな説明ができないので、日米で密約として、取り決められた。
戦争に勝利した米国は、広大な面積の米軍基地を沖縄の狭い土地で占拠してきたが、その基地の費用も世界の主だった国に駐留している米軍基地で日本だけが思いやり予算として、米国を喜ばせるように負担してきた。
当時、社会人になったばかりだった自分は、現在ほど意識が高くなかったため、沖縄返還に関する密約にもさほど関心が高くなかった。
毎日新聞の西山太吉さんは、外務省からこのマル秘情報を手に入れた時、誰から出たかわからないように秘匿しなければならなかったにもかかわらず、ニュースソースというか出どころが簡単にわかってしまい、当事者が女性であったことから、「情を通じ」て手に入れたと格好のスキャンダル材料にされ、密約事件はこうして、事実から目がそらされることとなってしまったのである。
語り継ぐ戦争であるから、アジア太平洋戦争では事実を隠すため、巧みな言葉の言い換えが大本営を通じて行われた。
皆で死ぬことを「玉砕」、敗北して退却するとき「転進」、若い人を死なせるために「特攻」、敗戦の日を「終戦記念日」というように。
密約はこうして、政府の力が働いたのであろうが、せっかくの大事な情報がスキャンダルに覆い隠されてしまい、肝心な政府の嘘の追及の手が緩んでしまった。
あれから、52年、情報の手に入れ方としては、評価は分かれるとしても、政府を監視するジャーナリストとしての役割は大いに果たしたと評価できる。
汚名というにはあまりにも世俗にまみれてしまったようで嫌な言葉であるが、家族にも、当時の世相から見て、気分はよくなかったであろうと推察する。
日米戦争の後始末と言ってもいい事件である。