広島の「黒い雨」体験者と長崎の「被爆体験者」の課題を共有するリレーシンポジウムが12日、長崎市内で開かれた。双方とも、国が線引きした地域の外にいた人々が「被爆者」の認定を求めてきた。約70人が参加し、国に対して、すべての体験者を被爆者として援護し、救済するよう求めるアピールを採択した。と5月13日の朝日(小川崇記者)が伝えている。
リレーシンポは、広島の原爆投下後に降った黒い雨をめぐる訴訟と、長崎原爆で国の指定地域外にいたために被爆者と認められていない被爆体験者の訴訟の弁護士や支援する学者、ジャーナリストらが主催した。
「黒い雨」をめぐっては、広島高裁が2021年、「内部被曝」による健康被害の可能性があったと判断し、援護対象区域外で黒い雨を浴びた住人らを被爆者と認定。国は22年4月から従来より広く被爆者と認定する新基準の運用を開始している。田村和之・広島大名誉教授によると、約5700人が新たに手帳を交付されたものの、一部が却下され、新たな裁判が続いている。「いままで黒い雨が降っていなかったと思われていた地域の人たちが続々と声をあげている」と話した。
一方、長崎の「被爆体験者」に対して、国は「被爆地域外で雨が降った客観的な記録がない」ことなどを理由に、被爆者と認めていない。県と長崎市を相手取り被爆者認定を求めた訴訟の判決が、9月9日に長崎地裁で言い渡される予定だ。
シンポは、26日に広島市の広島弁護士会館でも開かれる。
原爆が米軍によって投下された当時、市民のほとんどは原爆そのものを知らなかったはずである。
原民喜『夏の花』(新潮文庫)の「壊滅の序曲」「夏の花」「廃墟から」を読むと、主人公は厠にいたため一命をとりとめたとある。
原爆投下後、放射能で危険な街を人びとはそうとは知らず肉親の安否を尋ねて彷徨しているのだ。
あれから66年の2011年3月11日の福島第一原発の事故で放射能の危険性を嫌というほど教えられた。
ヒロシマに黒い雨が降ったことは井伏鱒二『黒い雨』(新潮文庫)を読んで知った。
当然、黒い雨は放射能まみれだったことは明らかであるから、裁判所の妥当な判断があり、政府も渋々嫌々ながら認めざるをえなかった。
しかし、被爆者を救済したくない政府、自民党政権だから自民党と言い換えてもいいが、勝手に被爆の範囲を決めてしまっている。
ヒロシマでは黒い雨の範囲、ナガサキでは黒い雨が降った記録がない、あるいは被爆の範囲を決めてしまったから、その外側の住民が救われない。
人々は、原爆投下後、放射能にまみれた街を彷徨しているのだから、放射能の影響を受けたに決まっているにもかかわらずである。
水俣病の患者との懇談会で環境大臣が話を聞かずに退席したことを患者に謝罪したという。
熊本ばかり話を聞いて、新潟は軽く見ていると新潟水俣病の患者が怒って懇談会を開催するように申し入れたら、今度ばかりは、環境大臣がイエスと応えたという。
国の役人と政府はどうして、被爆者、水俣病患者の側に寄り添った対応をしようとしないのか。
北海道のパワハラ男が自民党の議員だというから、偉そうに威張り散らすこの男の落選運動を呼びかけているが、議員や国の役人はもっと、被爆者や水俣病患者の側に寄り添った対応をするように求めたい。
自民党は幹事長もパワハラ男だとネットに書いてあったが、パワハラ男は選挙で投票しなければいいのだ。