フィリピン戦戦没者遺族会、比島観音奉賛会会長の亀井亘さんは、戦後、慰霊巡拝と遺骨収集を行ってきた。
毎年4月の第一日曜日、愛知県三ヶ根山の比島観音で慰霊祭が行われている。
日本人戦没者とフィリピン人戦没者の供養をするものだ。
戦争末期に多大な迷惑をかけた北ルソン山中の村に亀井さんと仲間は支援活動を行ってきた。と4月30日のNHKおはよう日本で伝えているのを視聴することができた。
山下奉文大将が潜伏していた大和基地のあったイフガオ州ワンワン村に学資援助の里親制度をつくったり、学用品や衣服を送ったりと長年援助してきた功績が認められ、2024年2月25日にワンワン村から息子として正式に養子縁組するという儀式に招かれた。
外国人が養子縁組に選ばれるのは初めてのこと。かつイフガオ族の名誉ある称号「リドゥン」を授けられた。
アジア太平洋戦争では、300万人以上が戦没、死没した日本。
沖縄戦、東京を筆頭に都市を襲った空襲、空爆、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下に敗戦後はシベリア抑留という戦争犯罪で被害者としての面ばかりにとかく目が向きがちである。
しかし、敗戦後79年となって、明らかな侵略戦争だったことが明白となっており、侵略先でどれほど日本軍の兵士たちが住民を苦しめたことか、捕虜をマルタと呼び、人体実験をした関東軍石井部隊がやったことがすべてを象徴している。
フィリピンも占領地の時代から敗色濃厚となっていく日本軍が住民を苦しめたであろうことは容易に推測できることだ。
そのフィリピンで敗戦後、贖罪というか貧しい村人に学資を援助する里親制度を作り、衣類など多岐にわたる支援をしてきた比島観音奉賛会会長の亀井亘さんたちがやってきたことは日、比親善の観点からも高く評価できることだ。
村人に気持ちが通じないわけがない。
人間同士だから、日本人の誰かがよくないことをすれば、日本人に対する印象が悪くなる。
満蒙開拓団が政府に騙され、大陸に渡り、土地を取り上げ、住民を見下したから敗戦後、酷い目に遭ったが、日本人全員が酷いことをしたわけではないので、現地の住民によくした人はソ連兵に追われたときも、助けてもらったことを証言している。
いざとなったとき、ふだん友好的にやっているかが問われてくるのだ。
蒲郡市にある三ヶ根山にはお町さんと占守島守備隊戦車11聯隊の士魂碑という慰霊碑があってお参りしたが、比島観音のことは意識してなかったが、あったような気はする。
ここは、昼間でも何だか、怖いイメージで、大勢で行かないと落ち着かない印象である。