歴史学者遠藤美幸さん(61)が研究しているビルマ戦線。そこでの元兵士や家族との交流、聞き取りの日々を綴った『悼むひと 元兵士と家族を巡るオーラル・ヒストリー』を刊行したと3月14日の読売が伝えていた。
語り継ぐ戦争だから、書かなければいけないと思いつつ、取り上げるのが遅くなってしまった。その上で、読んでから取り上げることを自分に課してきたが、まだ読んでいないにもかかわらず、書くことは本意ではないが、加齢による衰えで残念なことである。
遠藤さんが約20年前からかかわる戦友会では元兵士が十数人参加していた時期もあったが、現在は1人だ。その人も100歳を超える。
当事者から話を聞くことは難しくなってきている。だからこそ、元兵士の家族、特にその子たちの話に耳を傾ける。「戦争の傷は本人だけでなく次世代にも受け継がれる。家族から見た戦後史があり、戦争の悲惨がある」と日々を綴った。
武道が達者な元兵士たちの信頼を得ようと薙刀を習ったり、メンバーの展覧会に足を運んだり、戦友会では雑用を一手に引き受けるうち、会に欠かせない存在になっていく。
戦友会では地図にびっしりと戦死者の名前と日付が書き込まれていたのを見て、その人の戦争体験だけでなく、その後ろにどれだけの戦死者がいるのか思わされたという遠藤さん。
兵士の心の傷、みえにくく、みせたくない「傷」もあることを知る。
昨日、連れ合いがクラス会だと言って嬉しそうに出かけるというので、最寄りの駅までいつものように送迎した。少し前に恩師の80代と思しき女性から電話がかかってきていたので、クラス会のことは知っていた。
水俣病公式確認の年に生まれた世代だから、中学の時のクラス会だというので卒業して半世紀、50有余年になろうか。
これまでも、定期的に開催していたから、メンバーもよかったのであろう。
天邪鬼とか変人と自ら自負してい自分は、クラス会、同窓会など昔のことを懐かしむ気持ちなど生憎持ち合わせていないので、顔を出したことはない。
若い頃、小学校のときの数人の有志の集まりに出ていたことはあったが、それも病気になって足が遠のいた。
幼馴染が同じ街に住んでいて、資産家の息子で羽振りがいいい彼は、中学校の同窓会の通知が来た時、「○○ちゃん同窓会に行こうよ」と誘ってきたりするほどだった。
彼は勉強は苦手だったが、今は、経済的に裕福だが、連れ合いとはうまくいかず、刃傷沙汰の末、離婚したと耳にするから、楽しいことを探しているのかもしれない。
さて、戦友会とクラス会を一緒にするのはどうかと思ったが、地図にびっしりと戦死者の名前と日付が書き込まれていた事実から、戦友会で戦争体験を語る人の後ろにどれだけの戦死者がいるのか思わされたという、戦友が仲間を想う気持ちは想像をはるかに超えていることがわかった。
50年経っても、集える中学校のときのクラスメート。それも定期的にクラス会を継続してきたというのだから恐れ入る。
クラスに聾唖者の女性がいて、通訳を連れてきていたことを知り驚いた。
彼女は子どもが3人いて、シングルで子どもを育てたというくらいのしっかりした女性である。だが、先年、脳梗塞だったかで倒れ後遺症が残ったということだが、通訳がいたから楽しそうだったとのこと。
50年前は、健常者のクラスに障がい者が一緒にいて、50年後のクラス会で再会しているなんて嬉しい話ではないか。
世の中には健常者ばかりではないから、一緒にクラスを構成できればそれが一番いいにちがいない。
戦友会もいろいろな人がいたであろうし、ひとりでも多くの人が集まれればなおよかったが、戦死した人は集うことができない。
戦友会は、加齢で退場者が続出し、今や、1人だけが残っているということで、その子たちの戦争体験が語り継がれていくことを切に願っている。
会という集まりを継続していくのは何とも難しいことで、会を開催するには幹事というか世話役が必要で、遠藤美幸さんは戦友会の雑事を引き受けることを担ってまで話を聞いたからこそ、戦友の話を聞くことができたのであろう。
語り継ぐ戦争だから、何としても、聞いたことを語り継いでいってほしいと願い、綴られた書物が読み継がれるように祈っている。