2024年04月19日

国の責任認めず、47人のうち26人だけ水俣病と認定

 新潟水俣病の未認定患者らが救済を受けられないのは不当だとして、国と原因企業の旧昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に1人あたり880万円の損害賠償を求めた訴訟で、新潟地裁は18日、原告47人のうち26人を水俣病と認定し、同社に1人あたり400万円、計1億400万円の支払いを命じた。国の賠償責任は認めなかった。とメディアが伝えている。

 4月19日の読売によれば、新潟、熊本両県の水俣病を巡り、国は最終解決を目指し、一時金などを支給する水俣病被害者救済法を2009年7月に施行。しかし、偏見などを恐れて12年7月の期限までに申請できなかった人も多く、救済を求める集団訴訟が4件起こされた。うち大阪地裁は2023年9月、国などに賠償を命じた一方、熊本地裁は3月、原告の請求を棄却し、司法の判断が分かれていた。

 新潟地裁の島村典男裁判長(鈴木雄輔裁判長代読)は、阿賀野川流域の住民は汚染された川の魚を多量に摂食していたと指摘。摂食歴や症状などから26人を水俣病だと認定した一方、19人は認めず、残る2人も提訴後に国の制度で水俣病と認定されたとして、賠償の対象外とした。国の責任については「水銀の排出や住民の健康被害を具体的に予見できたとはいえない」とし、原告の訴えを退けた。

 新潟水俣病は、新潟県阿賀町の旧昭和電工鹿瀬工場から阿賀野川に排出されたメチル水銀が原因で起きた神経疾患。熊本の水俣病から9年後の1965年に公式確認された。同県によると、2024年3月末までに行政が認定した患者は716人。だと解説がある。
 
 原告側は旧昭和電工鹿瀬工場の水銀使用量は全国屈指で、国は排水により水俣病が発生すると認識できた。と国の責任だとし、一方、国は新潟水俣病の公式確認よりも前に水質汚濁の発生を具体的に認識しておらず、責任はないとする。
 因果関係では、水俣病に特徴的な手足の感覚障害がある。原告は排水が流れ出た阿賀野川流域の魚を多食していた。とする原告に対し、感覚障害は別の病気が原因とも考えられる。流域の魚を多食している客観的証拠はないというのが国の主張で、裁判における争点となっていることを4月17日の読売が伝えていた。


 阿賀野川流域で暮らす人々の日常を伝える佐藤真監督『阿賀に生きる』というドキュメンタリ―映画を観ているので、この地域に暮らす人々が新潟水俣病に苦しめられていることを知っている。
 映画では、原因企業の昭和電工のことを住民は糾弾するようなこともなく、穏やかに暮らしているのだが、観ている側は毎日怒りまくっているだけでは生きていかれないことがスクリーンから伝わってくるのだ。

 余談であるが、この映画の撮影、キャメラマンを務めた小林茂さんと知り合い、監督作品『風の波紋』を観ている。
 越後の豪雪地帯妻有の里山に移住した夫婦が住人たちに溶け込み、生きる姿を描いた映画である。 
 連れ合いの両親が越後は信越に近い妙高の出身ということと相俟って、新潟をますます応援したくなった。

 国歌権力は全く信用していないし、公害病のときは、決まって企業と結託していることがほとんどで裁判所も国の責任をなかなか認めようとはしてこなかった。
 だからこそ、直接関係ない人たちは他人事とせず、患者側に立ち、声を上げていく必要がある。

 よく考えてもらいたい。
 熊本、新潟いずれも、チッソと昭和電工の工場が排水を処理せずに有機水銀を流したことが原因である。
 患者は、ただ、魚を食しただけのことではないか。
 何も落ち度はない。
 企業と国の責任は明確である。
 企業が有機水銀を処理して排水に流さなければ、水俣病は起こらなかった。
 原因が企業にあることは明らかであるが、国は患者が出ている時点できちんと調査してこなかった責任がある。
 言い訳は無用である。
 国はその責任を認め、患者だと訴えている人は全員救済すべきだ。
 患者はこれまで十分苦しんできている。
 これ以上苦しめてどうするのだ。 
posted by 遥か at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題・公害問題