月に一度の映画館行き、3月に観たのが熊谷博子監督『かづゑ的』だった。10歳からハンセン病療養所で80有余年生きている宮崎かづゑさんに伴走するようにして撮ったドキュメンタリー映画で激しく心を揺さぶられたことは映画を観た後の感想に書いたところである。
買い求めたプログラムというかガイドブックに映画にも出演されていた歌手の沢知恵さんの「かづゑさんのうた」があったので書いておきたい。
失礼ながら、歌手沢知恵と言われても、聞いたことがあるようなないような、どんな歌を歌っていたのかもよくわからなかった。
Wikipediaで調べたら、母親のルーツが朝鮮半島で両親が牧師という環境で育ったからか、生後6か月で父に連れられ訪れた香川県の大島青松園で、2001年からコンサートをしていて、近くに住もうと2014年には千葉から岡山に転居したというハンセン病患者の支援者だった。
それから、長島愛生園、邑久光明園にも通うようになってかづゑさんに出会った。
2018年からは岡山大学大学院で「ハンセン病療養所の音楽文化」を研究し始めた。
修士論文をわかりやすく書き直したのが『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史―園歌は歌う』(岩波ブックレット)だという。
全国に13ある国立の療養所を調査し、計23編の園歌を特定した。
「民族浄化」「一大家族」などの歌詞に戸惑いながら考えた結果、うたを空間に響かせることで思想を刻みつけ、権力への服従を「自発的に」促すのに、音楽が最大限に力を発揮した。
しかし、入園者にとっては、辛い療養生活を仲間とともに乗り越えた日々を思い出す歌でもあった。
大正天皇の連れ合い貞明皇太后の「つれづれ」が本居長世と山田耕筰が作曲した園歌として歌われてきた。
本居曲の長島愛生園の歌を歌ったかづゑさんは「みんな迫害されてきているもの。一般社会から、家族から叩き出されてくるのよ。生きながら腐るんだから」と式典で歌われたときの入園者が泣きながら歌ったことを証言してくれたそうな。
プロの歌い手である沢知恵さんが「かづゑさんがご自身の声を吹き込むシーンは、声がうたのように聞こえ、かづゑさんのうめき、叫びがブルースのように聞こえ、全身全霊で発する声に直撃され、あなたの歌にはかなわない」と白旗を挙げたとむすぶ。
どこかで耳にしているような気がしているがはっきりとは思い出せない。
沢知恵さんが育った境遇が社会的弱者であるハンセン病患者に寄り添い、療養所で毎年コンサートを続けている原動力になっているのだろうか。
以前書いたことがある『故郷へ』では、惜しいことに病気で亡くなってしまった八代亜紀さんが生前、女子刑務所を慰問していることを書いた。
八代亜紀さんの歌は女子刑務所では圧倒的な支持があると耳にしたことがある。
沢知恵さんは、ハンセン病の国立療養所大島青松園で毎年コンサートを開いている。
YOUTUBEで沢知恵さんの『こころ』を聴いてみた。
讃美歌で育ち、留学してジャズ、ゴスペルなどを知り、ピアノで歌うスタイル。
歌は心だと思っている自分としては、沢知恵さんの歌から十分にこころが伝わってきた。
同時に、自らのルーツなどで、虐げられてきた人たちの気持ちがよく理解できるようになったのかもしれないと思い、ハンセン病という自分は何も悪くないにもかかわらず、罹患すれば、隔離され、一生を療養所で暮らさなければならなかった人たちのことを考えないわけにはいかない。
沢知恵さんにエールをおくりたい。