2024年03月21日

水爆実験 被曝から70年 第五福竜丸

 1954年3月、太平洋のビキニ環礁での米国による水爆実験で、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝して3月で70年となった。
 「死の灰を浴びた元乗組員が相次いで他界する中、その子どもたちは肉親が体験した核の恐怖を語り継ごうとしている中で、元料理長の服部竹治さんの長男焼津市の服部茂さん(75)の活動を3月16日の読売(畑武尊記者)が伝えている。

 一方、3月1日のNHKNEWSWEBでも、「第五福竜丸」の元乗組員の体験を語り継ぐ活動をしている遺族牧之原市の河村惠子さん(76)が義理の兄大石又七さんを3年前に亡くし「兄が果たせなかった核廃絶という夢を実現させるために努力していきたい」と決意を語っていた。

 服部茂さんは父親が79歳で亡くなった97年、その頃、恩師から誘われ冷戦期に核実験を重ねた旧ソ連のカザフスタンにあるセミパラチンスク実験場を見学したことがある。
 49年から89年まで450回以上の核実験が繰り返された場所である。
 ここで目の当たりにしたのが成長が止まり、身長が伸びない少女の姿に胸を締め付けられ、母親から「わたしたちを助けて」と訴える姿だった。
 被曝者の息子だから傍観者ではいられないと、勤務していた食品会社の輸出用の白身魚の缶詰1000個を現地に送った。
 服部さんと共に元漁労長の見崎吉男さんの長女杉山厚子さんも第五福竜丸の被曝を語り継いでいる。


 スベトラーナ・アレクシエービッチ、松本妙子(訳)『チェルノブイリの祈り――未来の物語』(岩波文庫)を買い求めて読んでいるので被曝の怖ろしさを知っているつもりだ。

 気分を害するのは、米国とロシア(ソ連)という国の身勝手さである。
 米国の核実験場は太平洋のビキニ環礁で、ソ連の核実験場はカザフスタンだから、自分たちは安全な場所にいて、被曝の心配がない場所から核実験をやらせていることだ。

 原子力発電所だって、チェルノブイリはウクライナにあるわけで、事故が起きてもモスクワにいるロシア人にとっては安全な場所にいるということ。

 日本だって東京に原発を作れないのは、皇居があるからだろうし、少しでも安全でないものは作らせないことになるはずだ。

 第五福竜丸の事件で久保山愛吉さんが亡くなったことは団塊の世代の一員だから当然知っている。
 語り部の人たちが自分と同世代だから語り継ぐことに親近感もある。

 語り継ぐといえば、こちらはアジア太平洋戦争を主に語り継ぐ戦争ということで発信してきた立場だ。
 マグロ漁船だから、当時、放射能に汚染されたマグロとされ、マグロが売れなくなるという風評被害に遭ったそうな。
 福島でも汚染水否処理水を海に流しているから、風評被害が起きると心配されている。
 現に安全性が確認されているにもかかわらず、中国が嫌がらせのように輸入禁止措置を解除する気配がない。

 第五福竜丸の乗組員は被害者であるにもかかわらず、マグロが売れなくなった責任を感じていたとのことで理不尽さに腹が立つ。

 21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチンは核兵器を脅しの材料にしているが、一日も早くこの世からいなくなってもらいたい。
 第三次世界大戦になっては困るからだ。