約10万人が犠牲になった1945年の東京大空襲から10日で79年となる。現在の江東区で7歳のときに大空襲に遭った国分寺市の浜田嘉一さん(86)は、語り部として自身の体験を伝えている。浜田さんは「二度と戦争を起こさないために、平和の尊さを訴えていきたい」と語る。と3月10日の読売(井上勇人記者)が伝えている。
「ほかの体験者が経験を語っているし、仕事が忙しいので、自分が話す必要はない」と思っていた浜田さん。2016年。長年連れ添った妻が亡くなり、「この先どうしようか」考え、「空襲の記憶を語れるのは80歳代が最後の年齢層かも。あの悲劇を風化させてはいけない」と語り部として残りの人生を捧げることを決めた。
18年に友人や東京大空襲経験者でつくる『東京大空襲を忘れない』実行委員会」を設立。自らが代表となり、絵画・写真展や空襲体験者らによる座談会などを開いてきた。
昨日、偶々東京は錦糸町で開催されていた吹定という尺八を独りで吹くという会に行った。
忙しいので一部しか聞いていないが、東京大空種の日の演奏会だから、語り継ぐ戦争の立場から両国にある東京都慰霊堂に行き、お参りしなければと思わないわけではなかったが、以前、東京都慰霊堂では、自分のお参りのスタイルである尺八を吹いているので、昨日はお参り客も多いだろうからと見送った。
東京大空襲といえば、敗戦の日を終戦記念日と呼び変えたことと同様、空爆を空襲と呼んでいることに大いに疑問を抱いている。
空から襲撃されたことは間違いないが爆弾、焼夷弾を落とされ、焦土と化したのだから、やはり、空爆の方が正確だ。
パレスチナのハマスがイスラエルに侵入し、多数を殺傷し、人質を取ったことに怒ったイスラエルはハマスをたたくという名目でガザ地区を滅茶苦茶に攻撃し、関係ない人まで殺傷し、物不足で餓死者まで出ているようなことが伝えられている。
日本もバカな軍人が真珠湾攻撃を仕掛けたために、怒った米国の復讐で東京大空襲、大空爆で1日で10万人が殺害され、ヒロシマ、ナガサキに原爆を落とされた。
勝ち目のない戦争を仕掛けたハマスも日本軍も愚かで、ために犠牲となった人々は何のために死んだのか。
戦争はやってはいけないことを確認するのが東京大空襲、大空爆など多数の犠牲者が出た日である。