2012年05月20日

戦争体験を語らず 元戦艦大和のスクリュー製作者

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を始めてから、気づいたこと。それは身近な人からの戦争体験を聞き出すということである。

 昨日、東京は西多摩地域にある有料老人ホームと呼ぶのかはたまた病院と呼べばいいのかわからないが、ここにお世話になっている知人を紹介者と共に訪ね、戦争体験を聞かせていただくことになっていた。

 ところがである。

 その旨認めた手紙を出したら、何でもしゃべると返事をくれたにもかかわらず、戦争体験はしゃべりたくないとのことで拒否されてしまう。

 大正7年、3月29日、94歳だというこの男性から、ずいぶん前のことだが、竹をもらったことがあったので、お礼かたがた、1曲献ずるつもりで別の長い竹を用意していったからということで、入所者に1曲聴かせてほしいということに相成り、同じフロアにいる年配者が「頭の体操の時間」とやらで集まっていた談話コーナーを舞台に慰霊の曲を聴いていただいた。

 突然のことではあったが、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚の概要を説明し、祈りを捧げながら、いつも吹いてきた曲を披露させていただく。

 自分と共にいつも傍らで見守っている家内が、急に頼まれて、どうするのかと心配そうな様子であった。それでも、終わったら、せっかくの機会だから、「故郷」でもやればいいのにと言ってくれたが、長くなるからやめた。結果、大きな拍手を頂戴し、来た甲斐があったと気分をよくした。

 話したくないと拒否しながらも、何とか聞き出したのが、軍属として呉市のひろ(広か?)というところで、あの戦艦大和の4基あるうちの一つのスクリューの製造を担当していたこと。

 さらに、1939(昭和14)年7月31日、揚子江(長江)の近く鄱陽湖畔、廬山が見えるところに駐留していたことがあるが、1944(昭和19)年1月23日には、ニューギニアのニューアイランド島で37人残っていた部隊のうち生き残ったのはたったの4人だという体験を持つということ。

 語り継ぐ戦争だから、体験者の話こそは貴重な体験談だからと説得を試みると、戦争で自分が見たのは、自分の身近なところで起こった一部の出来事であり、書いたこと、しゃべったことに誤りがあれば、迎えが来たとき、閻魔さまに舌を抜かれてしまう。と言いながら、柔らかく断られた。

 以前、仕事でシベリア帰りの年配者とかかわったことがあったが、未だ、当時は自分の意識が低くて、シベリアのことを聞きだすことはできなかったことがあって、未だに後悔している

 身近な人の中に、陸軍中野学校出身という特異な体験を持つ先輩がいるので、近いうちに話を訊くために出向く予定だ。

 NHKでは歴史の証言というか、戦争の証言を特集して、放送しているが、自分もできることとして、少しでも戦争の記憶を記録し、平和の有難味をしみじみ実感する手伝いをしていきたい。

 戦争で大勢の人が亡くなったからには、生き残った者は、自らの体験を次世代に伝えていく義務があるはず。

 だから、閻魔様に舌を抜かれるなんて言わないで、しゃべってほしかった。

2012年05月19日

組幹部と証言台の間についたてを…住民側意見書

 今朝は、家内の知人の絵画展に行き、そのまま、語り継ぐ戦争ということで、老人ホームに入居中の94歳の男性に戦時中の体験談を聞きに行った。

 この話は明日書く。

 さて、福岡県の指定暴力団の旧本部事務所立ち退き訴訟で、住民側弁護団は17日、住民が証言する6月1日の口頭弁論で、被告席に座る組幹部からの視線を遮るため、証言台との間についたてを置くよう求める意見書を福岡地裁久留米支部と組側の代理人弁護士に送った。と読売に報じられている。

 前回証言した住民が、被告席に座った同組幹部の視線に恐怖を感じたと訴えたため。

 4月27日に同支部で行われた前回の口頭弁論では、住民3人が証言。住民側が要請したついたては、証言台の後方にだけ置かれた。傍聴席からの視線は遮られたが、被告席の同会幹部2人からは住民の顔が丸見えの状態だった。

 弁護団によると、法廷に立った住民の中には、同会幹部が見つめる中での証言に、恐怖を感じた人がいたという。このため意見書では「精神的な圧迫を受ける恐れのある中で証言させられ、住民が動揺した」として、被告席から住民が見えないよう、証言台との間についたてを置くよう求めた。


 犯罪被害者支援を訴えてきたが、法務省のHPによれば、公判段階での被害者支援として、証人の精神的な負担を軽くするための措置として,(1)証人への付添い,(2)証人の遮へい,(3)ビデオリンク方式での証人尋問があるとのこと。

 証人への遮へい
 証人が,法廷で証言する際に,被告人や傍聴人から見られていることで心理的な圧迫を受けるような場合に,その精神的な負担を軽くするため,証人と被告人や傍聴人との間につい立てなどを置き,相手の視線を気にしないで証言できるようにすること。

 ビデオリンク方式
 性犯罪の被害者の方などが,関係者の全員そろった法廷で証言することに大きな精神的な負担を受けるような場合,このような負担を軽くするため,証人に別室で在席していただき,法廷と別室とをケーブルで結び,モニターを通じて尋問を行うという証人尋問の方法。

 このように被害者支援がなされるということになっているにもかかわらず、福岡地裁、久留米支部は何故か理由は不明であるが、法務省の説明のとおり、証人保護をしようとしてこなかったことが問題である。

 相手は暴力団の幹部である。ふつうに考えても怖いのに、まして、仁義なき戦いを繰り広げていることで恐れられている九州の組織である。裁判所の判断に疑問を唱えたかったのは、自分だけではあるまい。

 性犯罪や組織暴力団との対峙の際は、被害者保護を最優先に考えるのが国家権力の一番の仕事ではないか。

 どうして、こんな当たり前のことが実施されてこなかったのか理解に苦しむ。

 被害者支援が必要な理由がわかってもらえれば幸いである。

 裁判所の人間は自分が被害者にならないとその立場の大変さに思い至ることができないみたいだ。

 犯罪被害者等基本法ができていても、関係部署が真剣の考えなければ効果を期待できない。

2012年05月18日

原爆死没者27万5230人の名簿を風通し 

 広島市中区の平和記念公園で16日、原爆慰霊碑の地下の石室に納められている原爆死没者名簿の湿気を払う「風通し」が行われた。とネットの産経で知った。

 名簿の状態を確認し良好な保存に努めるため、市が年1回、梅雨前に行っているという。

 現在、名簿は100冊。昨年8月5日までに死亡が確認された27万5230人の氏名や死亡日などが記されている。

 この日は、市職員ら18人が原爆投下時刻の午前8時15分に合わせて黙祷。大勢の修学旅行生らが見守る中、白い手袋を着けて石室から名簿を取り出した後、慰霊碑前に敷いた白布の上に並べ、1枚ずつめくって初夏の風を通した。

 昨年8月6日以降に死亡が確認された被爆者については、6月中旬以降に追加して記帳し、今年8月6日の平和記念式典で慰霊碑に納める。

 時事通信のネットによれば、身元不明の死没者を慰霊する白紙の1冊や、遺族が広島での奉納を希望した長崎原爆の被爆者9人分の名簿もあるそうな。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚だから、すでに広島に行き、平和記念公園にある慰霊碑に祈りを捧げてきたが、自分の信条である無縁さんの墓参りというか無縁さんの塚を探してしっかり手を合わせ、自分の思いを伝えてきた。

 無縁さんこと、身元不明の死没者を慰霊する白紙の1冊が死没者名簿に納められているとは知らなかったが、所謂行き倒れ、行旅死亡のお骨同様、塚の無縁さんはさぞや、寂しいことであろう。

 名簿の風通しでいつも思うのは、紙の問題である。

 和紙、それも手すき和紙が買い求めたまま、書庫で眠っているのだ。

 若い頃、書を10年ほど習っていて、その世界では文房四宝というから、硯、墨、筆、紙とそれぞれいいものを揃えてしまったのである。

 いずれ、もう一度手習いを復活させるはずであったが、忙しくて手が回らずそのまま宝の何とやらになってしまった。

 時間があれば、書庫に風を入れ、書物の風通しもやらなければならない。そこで、いつも思うのが、近年の書物など紙資の悪さである。

 70年代に石油ショックでトイレットペーパー買い付け騒動が起こり、近いところでは、2011年3月11日以降、首都圏近郊の田舎町でも、一時的にコメやトイレットペーパーが品不足になったことがあった。

 わが国では、戦後、経済の復興と共に消費型経済が進行し、ごみも著しく増加してしまい、ごみの収集、処分場、埋め立て地に困る自治体が出てきたことから、ごみの分別収集による資源化を進めた結果、新聞紙など、古紙回収が進むと同時に、再生紙が全盛時代を迎えたのである。

 ところがである。

 古紙の混じった率が高くなればなるほど、保存には適さなくなってしまうことが明らかになっていく。

 新聞、週刊誌、漫画雑誌などを見れば一目瞭然紙質は誠によろしくない。

 わが家で収蔵している書物でみてみると、1952(昭和27)年8月発行の『原爆第一号ヒロシマの写真記録』(朝日出版社)は、自分とほぼ近い歳月をわが家で過ごしてきたが、未だに紙の黄ばみなどが見られないのは、戦後まもなくではあったが、当時としても、写真集だから、上質の紙を使ったのであろうか。

 60年の月日を無事に過ごせたのは、きっとわが家だったからで、ふつうの家なら、とっくの昔に処分されていたのではないか。

 古文書など、きちんと残っているものは、すべからく和紙が多い。このことを見ても、わが国の文化のレベルは高いことがわかる。

 さて、原爆死没者名簿への風通しである。

 以前、満州からに引揚げ者が持ち込んだ品物の虫干しというか、風通しについて書いたような記憶があるが、原爆死没者名簿に載っている27万5230人プラスの人々は、歴史の証言者だから、未来永劫その名前を語り継いでいく必要があるはず。

 それにつけても、何故、こんなにも多くの人が死没せねばならなかったのか。

2012年05月17日

裁判員 性犯罪や虐待重罰化 介護殺人など猶予増

 最高裁は14日、裁判員制度の施行から21日で3年となるのを前に、裁判官のみの裁判と、裁判員裁判の量刑の分布を比較した調査結果を公表した。と読売に報じられている。

 裁判員裁判では強姦致傷や傷害致死で重罰化する一方、介護殺人などでは減軽、現住建造物等放火や強盗致傷で執行猶予の割合が高まり、判決に市民感覚が反映されてきたという。

 細かい内容は省略するが、解説によれば、調査結果は裁判員が被害状況など事件の実質的な内容や被告の更生可能性に着目する傾向のあることを示したと言える。
 例えば、傷害致死。裁判官は「殺意の有無で殺人と明確な差をつけていたが、裁判員は「死亡という結果を重視し、悪質なケースには重い刑を言い渡している。
 強制わいせつ致傷が強姦致傷に近い重罰傾向を示しているのも「女性が深い傷を負う点で変わりがない」と考えるためだろう。
 執行猶予が増えたのは、犯罪の内容や被害の程度から見て、被告の早期の更生を望んだためとみられる。などと市民の感覚が色濃く反映された形だとみていた。

 「同じ罪を犯した被告には一定の公平な刑を科すのが司法の役割で、今後さらに検証されるべきだろう」という元東京高裁部総括判事原田国男慶応大学客員教授の話も紹介されている。

 
 犯罪被害者支援を訴える立場であるから、被害者の気持ちが裁判員裁判になって反映されるのは結構なことだ。

 一つだけ、重要な論点があるので、書いておく。

 裁判には量刑相場があるわけで、いくら制度が変わったからといって、量刑が大きく変わるのは公平性を欠いておかしいと主張する人たちに対してである。

 自分は、裁判員裁判を格別支持するものではないが、求刑の8掛けというお役所的な裁判官の在り方に疑問を持っていたことをまずお断りしておく。

 同じ罪を犯した被告には一定の公平な刑を科すのが当然で、裁判員によって、言い渡される刑罰に大きな差が出るのはよろしくない。

 しかし、刑罰は時代によって、正確には被害者感情が反映されるのが当然で、このことを軽く考えている法曹関係者などには自らが被害者になってからの発言を求めていくつもりだ。

 毎日、書き続けているのだから、それなりに学習している。犯罪被害者支援を訴えている以上は、わが国における犯罪史にも無関心ではない。

 足立区綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件というわが国犯罪史に特筆される凶悪事件があったが、当時は、被害者のことが一切裁判に反映されなかったから、これほどの残酷非道な鬼畜の所業が死刑にもならなかった。

 この事件を裁判員裁判で今、裁いたらどうなる。死刑はともかく、少なくとも、当時より刑罰が重くなることだけは確かであろう。

 裁判の量刑相場について、重視し、裁判員の市民感覚に疑問を呈する向きには、量刑相場という一括りで裁判の判決を見てほしくない。

 裁判員裁判については、もうかなり書いてきたが、何度でも訴えたいことは、裁判員になって初めて人は、自分が当事者だったらと考えるのだということ。

 だから、いつ自分が、あるいは家族が被害者にならないとも限らない性犯罪に対する刑罰が厳刑となるわけであり、自分が介護で疲れて、魔が差したような場合、当然の如く、執行猶予にというような判決となるのである。

 もっと、言えば、常習性の極めて高い性犯罪者が多くては、女性は安心して社会生活をおくれないし、介護殺人などのように事情を汲めるものでは、加害者は、一般市民を傷つける怖れがないわけだから、刑の執行を猶予をすることで、立ち直る機会を与えようということだろう。

 裁判の判決で言い渡される刑罰そのものと更生制度を見直すべき時が来ている。

 司法関係者は、刑法を改正し、「心の殺人」だと被害者が訴えている性犯罪をさらに厳罰化し、更生については米国の三振法の導入で、更生の見込みがない者には塀の中で、コミュニテイをつくりそこでで暮らしてもらうよりない。

2012年05月16日

沖縄返還40年

 米国に占領され、進駐軍が統治、支配していた沖縄が1972(昭和47)年5月15日、日本に返還されてから、昨日で40年である。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、昨夏、沖縄に行き、タクシーで南部戦跡に連れて行ってもらい、祈りを捧げてきた。

 慰霊のための旅で、全国を周っているが、慰霊碑の前で霊気を感じたのはここだけだといっていい。

 霊感なんぞあるはずもないが、事実である。一番感じた場所、それは魂魄の塔周辺である。鬼哭啾啾という言葉があるが、まさにそんな雰囲気で夜は怖いだろうし、昼間も一人では足が竦む。

 きっと、この地域では、収集されないで、供養されないまま野辺にあるご遺骨がまだ、あるのではないだろうか。

 自分と沖縄とのかかわりを振り返ってみるとき、最初の出会いは、書棚にあった石野径一郎だったと思う『ひめゆりの塔』である。

 次いで、映画で観た『ひめゆりの塔』。映画は今井正の1953年版をTVで、82年版を映画館でそれぞれ観た。

 灰谷健次郎『太陽の子』理論社を買い求めて読んだのが80年代になってすぐくらいだったか、この作品は映画化されているが、NHKのドラマ人間模様で放送されたものは見た記憶がある。

 「てだのふぁ」という料理屋を経営している沖縄出身の両親を持つ主人公ふうちゃんと店に集うお客たちとの交流を描いた話だった。
 確か、父親が沖縄戦を引きずって生きているということだったような気がする。

 いつのことだったかはっきりしないが、日比谷公会堂で沖縄三線の嘉手苅林昌のライブを見たことも沖縄と自分との関わりといっていいだろう。

 85年になると、1週間沖縄を巡った。本島だけでなく、石垣 竹富、西表の各島にも行った。このとき、南部戦跡をタクシーで周り、ひめゆりの塔、健児の塔などでしっかり手を合わせてきたが、未だ、このときは意識が低くて、魂魄の塔などの存在は知らなかった。

 さて、沖縄と言えば、どうしても語らなければならないのが米軍基地の存在である。

 95年に、沖縄で米兵の少女暴行事件が起きた。被害者は12歳。未だ小学生だぞ。このときから、自分の立ち位置は完全に反米ということに決まったと言っても過言ではない。

 ふつう、反米というとすぐに誤解する向きがあるから断っておくが、自分はロシア、朝鮮、中国も大嫌いである。

 米兵は小学生の少女を拉致し、集団で己の欲望のままに蹂躪したということを忘れてはならぬ。このことは教科書に載せて未来永劫日本の子どもたちに語り伝えていく必要があるはずだ。

 米国はドイツには使わなかった原爆をヒロシマ、ナガサキには落とし、戦後、進駐軍が駐留していた沖縄では多数の混血児が生まれている。

 米兵は小学生の少女を襲うほど、それほど、野蛮な下種野郎が多いということなのか。こんな国の基地は沖縄には要らない。

 米国で、ケネデイやクリントンの娘が日本の自衛隊員に米兵がやったことと同じことをされたら、9.11の仕返し程度ではすむはずがない。もう一度、原爆を落とされるのではないか。

 尖閣諸島、竹島と米国が沖縄にいて、いつ、日本のために島を守るために出動したのか聞きたい。
 
 何もしなかったではないか。沖縄に米軍基地があってもいいことなんぞ何もありはしないのだ。

 日本に沖縄が返還されても、沖縄にあれほど米軍基地がある限り、平和な日々が取り戻せたことにはならないだろう。

 ここで、問題なのは沖縄の地域振興を餌に歴代自民党政権と今では民衆党政権が基地を永続化させようと企んでいることだ。

 確かに、米軍のベースで働いている人。米兵相手に商売している人など米兵から何らかの恩恵にあずかっている人は、基地がないと困ると基地の存続を擁護する発言があることも事実である。

 この構図は、原発においてもいえることだが、ここは、別の振興策を考えるよりないと書いておく。

2012年05月15日

不安渦巻く公害列島 経済最優先を是正

 以前、「「魚湧く海」水俣の悲劇」で取り上げた読売の昭和時代を回顧する戦後転換期65年から79年で公害問題にスポットを当てた優れものの連載があった。

 その続きということになろうか、公害問題について書いておく。

 公害と言えば、水俣病というくらい知られているのが有機水銀中毒である水俣湾や阿賀野川流域での水俣病である。

 少し前に「水俣病終わっていない」ということで、水俣における有機水銀中毒で亡くなった方の慰霊祭について書いたばかりだ。

 記事で特筆すべきは70年前後に起きた公害問題の主なものを紹介していること。

〇安中鉱害 カドミウムによる土壌汚染など
〇川崎市の大気汚染 京浜コンビナートの工場からの排煙
〇諏訪湖汚濁 工場や家庭からの排水による富栄養化
〇伊勢湾排水 四日市コンビナートでの工場からに塩酸や硫酸の垂れ流し
〇西淀川区の大気汚染 工場からの排煙
〇倉敷市の大気汚染 水島工業地帯からの排煙
〇高知パルプ工場・生コン事件 硫化水素を含む廃液を川に流して、浦戸湾を汚染
〇洞海湾汚染 工場や家庭からの排水
〇カネミ油症 米ぬか油にPCB(ポリ塩化ビフェニール)が混入
〇大牟田川汚染 カドミウムによる土壌汚染

 高知では市民の実力行使で、排水管に生コンを流して封鎖ということもあった。

 ほかに、光化学スモッグや花粉症も昔はなかったことから、産業振興、経済発展と共に工場からの排煙や車の排気ガスが増えたことが影響しているはずである。


 公害問題と言えば、水俣病、阿賀野流域水俣病、四日市喘息、イタイイタイ病の四大公害訴訟が試験に出ることはあっても、上述した事件については、関係者はともかく、一般には忘れられていることが少なくないであろう。

 安中の鉱害と川崎の大気汚染、そしてカネミ油症くらいは自分でも記憶していたくらいだから、ご存じの方もいたのではないか。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚、犯罪被害者支援を柱に自分の思いを訴えてきたが、一見すると公害問題は関係なさそうに思われるかもしれない。

 あの戦争においても犯罪被害者支援でも同じことが言えるのだが、殺す側と殺される側というか強者と弱者という大きな立場、立ち位置というものがあるということ。

 自分の立ち位置は、明らかに弱者の側にあるということでないか。

 原点は、貧しさゆえに苦界に売られてしまい、楼主からの激しい搾取と過酷な労働で、最期は淨閑寺のような投げ込み寺に捨てられた遊女、女郎、娼婦などと呼ばれた女たちにある。

 だから、慰霊のための行脚は、淨閑寺の新吉原総霊塔の前から始まったのだ。

 自分にとっては、公害で苦しめられてきた人々のことは、苦界で苦しみぬいて死んだ彼女たちと同じで放っておけない。

 過去、四大公害訴訟についても当然取り上げてきたが、再び書かなければ気がすまないのは、全く構図が今日も変わっていないからである。

 確かに、東京でみれば、あれほど状況がよろしくなかった多摩川も、流域の下水道整備が進み、みちがえるほどきれいになった。

 お役所の窓口である環境省もできた。

 公害訴訟では、患者の思いがいくらかずつでも、裁判所や世間の人々に理解されるようになり、被害者救済も少しは進展を見せている。

 しかし、原爆の被爆者ではないが、水俣病に限らず、被害者は謂れのない差別に苦しめられてきたことを忘れてはならぬ。

 人々の心に棲む邪悪な気持ち「自分さえよければいい」に苦しめられた被害者の思いは、水俣病でいえば、杉本栄子女史のような語り部の話を聞けばよく理解できる。

 人は紙一重のところで生きているということを肝に銘ずる必要があるということ。

 紙一重というのは、殺す側殺される側、被害者加害者、権力側と市民などその立場はいつ逆転するかわからないわけだから、自分の立ち位置をもう一度考え直してみることも大事なことではないか。
posted by 遥か at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題・公害問題

2012年05月14日

被爆者治療に尽力

 自身が8歳のとき、被爆し、長じて、医師として被爆者治療に尽力した碓井静照広島県医師会長の訃報が読売に載っていた。

 ノーベル平和賞を受賞した核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部長として、核兵器廃絶運動にも尽力したとのこと。

 毎日JPによれば、今年4月、放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)会長に就任。在米の被爆者健診など在外被爆者の支援に尽力し、11年には北朝鮮を訪れて在朝鮮被爆者と面談したという。


 以前書いたことがあったが、1945年8月6日、母の胎内で被爆した職場の同期生がいて、退職後、彼は恒久平和を願い、原爆を語り継ぐ活動をしている。

 8月6日、広島で行われる原爆死没者慰霊式にも出席したことがあると言っていた。

 先日、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で宇佐海軍特攻隊の慰霊をした折、お礼参りに行った太宰府天満宮隣接の九州国立博物館で、「平山郁夫シルクロードの軌跡」を観る機会に恵まれたが、買い求めた図録の解説によれば、平山画伯は15歳で被爆体験なさったという。

 絵を描くに当たり、被爆したことが大きな影響を与えているようで、作家となってからの軌跡には、平和への強い願いと、原爆で死没した人々への鎮魂の思いが込められていて、世界的に評価が高い。

 こうしてみると、広島で被爆体験を持つ人は、その人のその後の人生に被爆体験が大きな影響を及ぼし、何らかの平和への活動にかかわる生き方をしているようにみることができる。

 そう、あの戦争で生き残った人には、生き残った者だけに課された人生の役割があるように思えてならない。

 語り継ぐ戦争であるから、戦没した人のことを忘れないために慰霊碑を周っているのだ。

 碓井医師は、自らが被爆者であることから、広島大学医学部に学び、医師として被爆者の治療にあたる道を選択なさった。立派である。

 自らの苦しみから、他者の痛みに思いやる、これこそ人としてのあるべき姿で、一番大事な人の道ではないか。

 平山画伯は、被爆という誰しもが体験しないことを15歳という多感な時期に受け、画家となってから、シルクロードや仏教伝来の道から、カンボジアのアンコールワットやアフガニスタンのバーミアンなど戦禍にまみれ、破壊された遺跡の修復に至るまで描かれたものは平和への願いが込められているような気がする。

 わが同期生も、退職後平和への願いを込めた活動を続けていることからそれぞれ教えられたのは、人間いかにいきるべきかということであろうか。

 大宰府から博多に戻ったときだった。某政治結社が駅頭演説で核武装の必要性をしきりに訴えていた。

  国を守るためには、核兵器があった方が抑止力となることもあるだろうから、一概には否定しない。

 ヒロシマ、ナガサキで酷い目にあったのだから、今度はやられてたまるかと思っているが、一番いいのは各国の指導者が核兵器を持つ愚かさに気づいてほしいということ。

 核を持っている奴だけが威張っているという構図では、演説していたスピーカー氏を説得できないであろう。

2012年05月13日

覚醒剤ネットが入り口 2ちゃんねる違法情報

 国内最大のインターネット掲示板「2ちゃんねる」で昨年1年間に放置された違法情報は5068件に上っていた。覚醒剤を始めて使うきっかけになることが多く、犯罪への入り口になっていることがうかがわれる。という記事を読売でみた。

 犯罪被害者支援、犯罪を少しでも減らそうと訴えてきた立場として看過できない。

 毎日、書き続けているというより、書かずにはいられない自分としては、「2ちゃんねる」など見る必要も暇もないが、犯罪への勧誘が少なくないと聞くと、黙っていられなくなってしまう。

 今回は、2ちゃんねるの在り方と覚醒剤について書いておく。


 いかに言論の自由とはいいながら、世の中を変えたいと、訴えている自分は、それなりに勉強し、書いていることも、誹謗中傷にならないように細心の注意を払ってきた。

 しかるに、2ちゃんねるをろくにみたこともないくせに批判するのはいかがなものか。(この言い回しは嫌いだけど)と言われそうである。

 それでも、警察が2ちゃんねるの在り方に疑問を寄せているとなれば話は別で、特に、覚醒剤という亡国の薬剤の勧誘はよろしくないばかりか許せないのでどうしても書いておかなければならぬ。

 身売りされた女性が搾取されながら働かされる遊廓という世界があった。彼女たちは傾城と言われていたが、一部の男たちにとっては、欠かせない女たちであったのであろう。彼女たちをその世界につなぎとめるために覚醒剤が使われる例が少なくないと聞く。

 情夫というかまあ、一般的にはひもと呼ばれている男の手によって、薬漬けにされ、逃げられないようにさせられるのである。

 時代劇では、大概、アヘンが使われ、中毒にされ、客をとらされるというシーンが描かれるが、あの時代から人間のやることはかわらないものだ。

 若い頃好きだった流行唄に「泣いてくれるな、流れの星よ・・・」という歌があったが、この歌を歌った歌い手が、自分にさんざん尽くしてくれた女性を殺害してしまい、懲役刑に服し、出所したので、そろそろまたあの歌が聞けるかと楽しみにしていたら、なんと、覚醒剤使用で捕まってしまい、TVで再び歌を聴くことは叶わなかった。

 イスラム過激派などでは、自爆テロをさせる悪い奴がいるが、覚醒剤の売人もこの自爆テロをさせるワル同様、人間としては最低な輩だといっていい。

 自らの手は汚さず、多くの犠牲者を地獄に落とすわけだから、いかにひどい奴かわかるであろう。

 さて、2ちゃんねるという掲示板であるが、闇サイト殺人事件という卑劣極まりない女性殺害事件が起こったとき、加害者たちが、ネットの掲示板で呼び集められたと報じられている。

 2ちゃんねるだったかどうかはっきりわからないが、本来の2ちゃんねるの目的はもっとましなことだったと推測するが、今のままでは2ちゃんねるの存在価値がない。

 悪用される以上、悪用されないような法整備が欠かせないし、覚醒剤を取締る法律ももっと厳罰化する必要があるのではないか。

2012年05月12日

「被害者への思い至らず」遺族「不信払拭できない」

 所要で文京区白山に出かけ、帰宅後、愛犬の予防接種と散歩で今、帰宅したところである。

 犯罪被害者支援を訴えてきた立場上、どうしても書いておかなければならないことが長崎ストーカー殺人事件に関する千葉県警の4月23日の再検証結果についてである。

 取り上げるのが遅くなってしまったが、書いておく。

 「被害者への思い至らず」、危機感不足を県警本部長が謝罪という見出しで読売に再検証結果が報じられていた。

 産経ネットでは、母親と妻を加害者に殺害された遺族が「不信感払拭できない」と手記を寄せ警察のありかたを批判している。

 同じ産経では、ストーカー殺人事件として、ストーカー規制法整備の端緒となった桶川女子大生殺害事件の被害者遺族が「助けてくれと言ったら、助けてくれる警察官がほしいだけ」と批判。その上で、「組織内部での責任のなすり合いを繰り返しており、警察の意識は今も変わっていない」と失望を隠せないコメットを寄せていた。

 
 署員の慰安旅行を「自粛させるべきだった」とも一応反省の様子を見せているらしい千葉県警であるが、警察内部の危機感の不足が殺人事件を許してしまった事実は重い。

 今回の事件も含め、一般市民はいざとなったとき、誰が何と言っても、警察官が頼りである。

 警察官にヨイショするつもりなど毛頭ないが、多くの心ある警察官は、市民のために日夜治安、防犯のために頑張ってくれているのも事実だ。

 しかしながら、被害者に親身にならない、なれない警察官がいることもまた組織として反省しなければならないであろう。

 被害者になったものでないとなかなか理解してもらえないことかもしれないが、家族が犯罪の被害者として殺害されたりしたら、何とか助けてやりたかったと考えるのがふつうではないか。

 それだけに助けられなかった、長崎や桶川の遺族は後悔と、助けてくれなかった警察官に不信感を持つことはやむをえまい。

 起こってしまったことから、学ばなければならないのは、犠牲者に報いるためである。

 そうしないと、殺されたものが浮かばれないからだ。

 犯罪予防について、訴えてきてもいるが、公安警察では、行き過ぎた捜査は困りものだが、事が殺人事件となれば、そんなことは言ってられない。

 何としても、犯罪予備軍の行動を阻止してほしいというのが、犯罪被害者遺族の願いでもある。

2012年05月11日

二重ローンの被害深刻 全額免除へ運用工夫を

 東日本大震災で被災者の二重ローン問題の深刻さが指摘されていることから、永井幸寿日弁連・災害復興支援委員長にインタビューした記事が読売に紹介されている。

 二重ローンとは、住宅を買い求め、借金返済中に大震災による津波で家が流された場合、借金だけが残り、住めなくなってしまった家のためにローンを払い続ける、一方で、新しい住宅を手に入れれば、新たなローンを背負うという銀行という強者の弱い者いじめの典型のような問題のことを指す。

 

 阪神大震災のとき、すでに二重ローンの問題は顕著になっていたが、今回の大震災は、津波や地盤沈下、放射能などで土地の担保価値がなくなってしまったことから、日弁連は『平成の徳政令を』と訴えてきたという。

 「徳政令」とは、読んで字の如く、ときの為政者による徳のある法令のこと。すなわち、鎌倉から室町幕府の頃、朝廷や幕府が債権者や金融業者に対し、災害などのとき、債券を放棄する、借金をチャラにするように命じた法令のことである。

 二重ローン問題を解決する債務減免制度「個人版私的整理ガイドライン」により、自宅などに関する借金の返済が困難になった被災者は、銀行など債権者との話し合いで借金を減免できることになった。二重ローン問題対策の先例をつくれたという点で画期的なことだと永井弁護士は語る。

 ところが、利用状況が昨年8月に始まった時点での見込み年間1万件に対し、今月20日現在で600件にとどまっているのだ。

 「まずは、債務を全額免除できるよう運用を工夫すること。債務免除に関し、金融機関と合意するまでの時間を短くすることも必要だ。現状では合意までに半年程度かかっている。」と改善の余地があることを永井弁護士指摘している。

 被災者の雇用の場となっているような地元企業を再生させないと、うまくいかないことを現地の金融機関にわかってほしい」とも訴えていた。


 識者によれば、欧米では大震災では住宅の消滅とともに住宅ローンという債権は、消滅するという考え方が一般的であるにもかかわらず、わが国では、そうならなかったのは、長く続いた自民党政治が銀行などの金機関寄りであったからではないか。

 誰が考えても、債権のもとになるものが天災でなくなってしまえば、債権が消滅するのは当たり前のはず。

 金融機関は、不良債権処理において、公的資金と称し国が支援したが、普段は、幹部は、高収入を得て、ふんぞり返っている。

 つぶれそうになったと言って、政府に泣きつくくらいなら、大震災のときの二重ローン解消に協力するのは当たり前田のクラッカー。(ちょっと古すぎて今ではわからない人の方が多いかもしれない。

 大企業は、具体的な名前は書かないが、具合が悪くなると、多額の債権放棄を訴え、金機関も必ずや協力してきた。

 しかるに、個人だと債権放棄がだめで、大企業なら許されるということがどうしても納得できないのだ。

 消費者金融や、闇金業者の常套句が、「借りたものは返すのが当たり前とちゃうんか」というが、彼らに商売用の資金つまり貸すカネを渡しているのは銀行だから、世の中を悪くしているのはどうも銀行だという理屈になってしまう。

 そうならないためにも、金融機関は一刻も早く、ローンの全額免除に協力すべきである。

 借りたものは返すことに異議はないが、天災で債権のもとがなくなってしまえば、借金を返す理由がなくなるのではないか。